平等院と三室戸寺
朝起きると急に秋が来たかと思うようなさわやかな空気。いつもの週末なら疲れて動くのが億劫そうにしている夫までが珍しく出かける気になった。どこに行く?と相談してみても彼にはもとより案があるわけではない。
「じゃあ、平等院にでも行って見ようか、近くにあるし。」てなわけで、初めて行きました。京都府宇治市にあるあの平等院鳳凰堂。そう、10円硬貨に刻まれているあれです。
我が家からは結構近いんだ、ここは。我が家は京都市にあって宇治市との境目の辺りで、買い物とか何かの用事でここをかすめる様にして宇治川を渡ることも多い。(といっても引越ししてまだ4ヶ月足らずだけどね。)いつも橋を渡りながら水辺の風景の美しさに、「きっと近いうちに行こうねー」と言ってきたのだ。
ようやく念願かなって、拝観料払って(大人600円って高くない?)入りましたよ。池に浮かぶ鳳凰堂は、さすがに1000年の時を経て古びていたけれど、建立当時の荘厳さを十分忍ばせる堂々たる風情でありました。今では外装はすっかり色をなくして寂しげなモノトーンだけれど、当時は全体に朱塗りで梁に金箔が施されていた、内部は極彩色でやはり金箔でまばゆいばかり、なんてことをCGで見せてくれたりするので、そっかー、やっぱりそうっかー。と感心してしまう。
子供の頃から歴史の教科書に載っていた写真で想像していたよりはずっとこじんまりした感じだったけど、良かった。鳳翔館という博物館が併設されていて、そこでの展示と説明も良かった。
そこでふと思う。藤原頼道は阿弥陀如来像や襖絵や菩薩像を安置して、絢爛豪華な仏教美術によって仏教を広める目的があったのだろうが、このきらびやかな鳳凰堂の内部に入ることが出来て、その御仏の教えに触れることが出来る人々はいかほどいたのだろうか?
末法思想の世だ。世は乱れて天災人災が相次ぐ時代だった。そんな世に救いを求める圧倒的多数の庶民は、果たして阿弥陀如来や目もくらまんばかりの金箔の二重天蓋を見上げる事はあったのだろうか?そんな事あるわけがない。極楽浄土を夢に描くのは貴族にだけ許されていたはず。
庶民は何を信じていたのだろう?1000年昔はずいぶん遠く感じる。でも、一人の人が長生きすれば、それで100年。その人生の10回分だ。たった!10回分。長いようで、そうでもないという気もする。高貴な人々が夢に見た極楽浄土も素晴らしいが、その他大勢の人たちはどんな夢を見たのだろう?
なんて事を思いながら、家に帰る途中で寄り道したのは三室戸寺。四季折々の花が美しい事で有名な花の寺だ。つつじ、紫陽花、蓮、なんかで有名で、一度は行ってみたいと思っていた。今はそのどれもが時期はずれだから、人影は少なかった。それが良かったなあ。参拝料を払って緩やかな上り坂の参道を歩き始めると、空気は山寺のもの。花は少なかったけれど、手入れの行き届いた庭が美しく、背景の山の緑に抱かれた、心洗われる素晴らしいお寺だ。重要文化財の仏像は、まあそれはそれとして。
貴族社会の夢とか庶民の苦悩とか、ここでは考えない。ここはまた来ようと思う。家からほんとに近いのだ。花の季節に来たら、きっと人ごみでうんざりするかの知れないけれど、平日なら大丈夫かな?うん、きっとまた来よう。
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