娘の結婚

My daughter's wedding道中記-5

11月2日(月)帰国の日
昨日の息子のタクシー難があったので私たちのタクシーは夕べのうちに予約しておいた。来るときに乗せてくれたドライバーに電話番号をもらっていたので、朝6時半にホテルでピックアップしてもらうように予約していた。ちゃんと時間通り来るかな、という不安はあったけど。

早起きして身支度を整えていると、仕事のメールをチェックしていた夫が、息子からメールが届いているという。差出時間は今朝3時だ。今日月曜からまた授業と試験が待っているといっていたけれど、まだ寝ていなかったんだ。

ナニ、ナニ―「おかげで何とかフライトに間に合ったけど、今度は乗り継ぎ便に遅れそうになって全力で走って乗り継ぎ便に滑り込んだ自分の背中で飛行機のドアが閉められる、というヒヤヒヤの思いをした。くたくたに疲れて、昨夜11時過ぎに寮に着いて、それでも冷静になってみると、まあ今日はあいつ結婚式なんだし、こうして無事に帰れたんだから、許してやって、もう一回おめでとうのメールでも出してやろうかなって思ってた。」

フムフム、あいつも大人になったじゃん、偉いなあーと思って読むと、
「ところがね、」と続いて行く――

「あいつからメールが届いててね、いったいこれって何だよ?!これがあいつの書いた全文だぜ!」と娘のメールを引用していた。たった2行―

『あなたが電話番号と携帯を手にしていたので、自分で電話できると期待したりして、それは私のほうが悪かったですと言いなさい、とママに言われたのでメールしました。』

息子はそこから怒りと屈辱を綴る。「一体あいつは僕をどこまで馬鹿にする気なんだよ?!」と。
そして、「こういう自分勝手なやつだってことは今まで十何年見てきて知っているから、もうあきらめたから、パパとママが責任を感じたりしなくていいよ。とりなしてやろうとか、そういうことしないで。分かってるから。」

昨夜娘を何とか説得したかな?と希望を抱きかけていた私は、ここで自分の浅はかさを思い知らされたのだ。私への怒りを娘は弟に向けたのだ、と知らされた。

なんてことを…

夫と私は顔を見合わせて首を振りながらホテルを後にした。

もちろん予約したタクシーは6時半には来なかった。7時20分だった。その間、人のいないホテルのフロントからは締め出されたまま、震えながらタクシーが来るのを待っていた。

フライトには間に合った。
接続便にも間に合った。
デトロイトからのフライトでは、隣の席のおばさんが巨大で、私の席の1/3は彼女に奪われた。13時間30分のフライト、私が自分の席を全部自分のものにできたのは彼女がトイレに行った5分間だけだった。ずっと不自然な姿勢でいたために腰をひどく痛めた。(あれからずっと腰痛で…)彼女と私、同じ料金なんだよなあ…

身体も疲れたけれど、心は重いまま。一仕事終えた感は全くない。

....親って大変だ…

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My daughter's weddin道中記-4

11月1日日曜日。結婚式―

昨日の雨もすっかり上がり、冷たい乾いた風が湿気も吹き飛ばし、ガーデンウエディングのためにあつらえたようなお天気となりました。

私は予定していたとおりちゃんと着物を着ましたよ。練習した甲斐がありました!義母に譲り受けた留袖じゃなくて、娘のお婿さんのお母様のおっしゃった『秋らしい色でお願いね!』と言うリクエストにも応えず、その昔母が私のために作ってくれたピンクの付け下げです。娘が「これがママに似合う色」と太鼓判を押してくれたので自信(?)はあるんだけど、うまく着られるといいなあ、とちょっと不安だった、実は…

主役の娘の着付けは実に簡単で、写真撮影の10分ほど前にタンクトップと穴の開いたジーンズ姿で現れた彼女は、私たちの部屋でシャンパンゴールド色のドレスに着替えて、ハイ出来上がり!ブライズメイドの友人に2分ほどメーキャップしてもらって、"I'm ready! Mom, you look great!"

皆でセレモニーの会場であるガーデン(何のことはない芝が植わって、木が生えているだけなんだけど)に出てみると、新郎と彼の家族、ゲストたちも三々五々集まり始めていて、Innの従業員が会場に花を運んだりしてそれっぽい雰囲気になってきている。あれ?花を運んでいる人は、あらあら、新郎じゃないの!自分の式だから、自分で働いてるってわけね。結構、結構…?でもせっかくの衣装に花粉が付いてしまって…

フォトグラファーが待っていて、まずは撮影から。ブライドは大忙し。家族と、友人と、いろんなフレームに納まらなきゃいけない。でもここまで順調の様子。皆に愛想を振りまいて頑張っている。

いよいよセレモニー。二人の宗教が異なっているので、聖職者の立会いはない。宣誓は二人が自分の言葉で誓いを述べる。二人の友人たちがいくつかの詩の朗読をしてはなむけをしてくれる。私が日本から持っていった自作のリング・ピローは、娘の友人(ベビーシッターの相手)の手にしっかりと握られている。娘の何と幸せそうに見えること。輝いていて、笑顔で頬が割れそうなほどだ。(ん?そんな表現ある…?)とにかく、あんまり幸せそうなので、それを見ただけですべて許してしまおう。

まあ、いっか。幸せなんだから。よかったね。ここまで来れて。おめでとう!

最後に、友人の司会者が夫婦となったばかりの二人を改めて参列者に紹介する。これで晴れて夫婦となりましたよ、皆さんどうぞ拍手で二人を送り出してください、ってわけで。

誇らしげに響くし司会者の声:
では、皆さん、改めて○○さんご夫婦を紹介します!

参列者:
大きく拍手

私もそうしていた。夫なんか何も考えず手だけ動かしていた。

一瞬だけ間があって、私の手は止まった…え?今何て言った?○○さん?それって私たち親夫婦の苗字。つまり娘の苗字。あれ?????

私が引きつった顔で彼のほうを見、彼が数秒後にその意味を悟る。新郎のご両親のほうを見ると、通路の向こうだけれど明らかにあっちのご両親は青ざめた顔をしている。

苗字問題はすったもんだあったから、とりあえず現時点ではどちらも元の苗字のまま行くことになっていたはずだった。娘の苗字を二人で名乗るというのは、彼の主張だけれど、まさか結婚式の場でこんな形で強引に披露するとは思ってもいなかった。たかが苗字、されど、両方の家族みんなに混乱と疲労をもたらしたこの問題をこんな形でまさか押し切るとは、思ってもいなかった。
友人に囲まれている彼ら二人に、騒動を起こさないように事情を聞かなくては。

セレモニーの後は、簡単なバッフェ。皆にお礼を言って室内に迎え入れた後でようやく娘を捕まえることが出来た。娘は半分引きつった笑顔で「あ、あれ?あんな事言ってくれなんて私たち頼んでないのよ。司会の彼女が勝手に言っただけの事よ。何か言わないといけないと思ったんでしょ。」

そっけない返事だが、この場で騒動が起こらなくて何よりの返事。早速、向こうのご両親をつかまえて、あれは間違いだったようで…と何で私が言い訳してるんだよ、といぶかりながらも、謝ってみる。するとやっぱり彼らも、あの「○○さんご夫妻」発言にぎょっとして息子に問いただしたのだとか。親達一同でほっと胸をなでおろした一幕。

でも決着が付いてないから、いずれそのうち再燃するんだけどね…この場で揉めなくてもいいよね…

あー、でもやれやれ、このバンクウェットが終わればすべて終わり、後はうちの息子がフロリダに無事に帰れば今回は落着だー!と思いながら娘たちの幸せそうな顔を見ていた。新郎新婦は参列者一人ひとりに言葉をかけて楽しく話をして、職場の同僚、友人、親戚を次々と送り出し、私たちは息子のフライトが気になり始めていた。フライトは午後5時だけれど、4時には空港に着きたいよね。ここから1時間15分はかかるから、もうそろそろタクシーの手配をしないとね。午後1時を回って夫と息子が席を立った。

結婚式は無事に終わった。簡素だけれども、彼らなりに精一杯で、決して背伸びをしない人柄が好く出たいい結婚式だったと思った。よくやったね、ってほめてやっていた。ドレス選びやケーキやギフトや、娘が私に助けてもらいたかった事が山ほどあっただろうに、一人でこれをやったんだなあ、頑張ったんだなあ、と褒めてやらなくては、戻ってきたら。

あれ?戻ってきたのは戻ってきたけれど、なんか様子がおかしいぞ?息子も夫もひどく動揺している…どうしたの?

「タクシーが来てくれないんだよ」と夫と息子。

「いったいこのホテルどうなってるんだか!タクシーの手配の出来ないホテルなんて聞いた事がない。空港まで行くタクシーを手配してくれって言ったらフロントの人が2,3本電話してどこも来てくれないって言って、自分で電話しろって言っていくつかナンバーをメモしてくれたんだよ。それで僕たち電話持ってないから、(娘に言って娘に電話してもらったんだけど)そのどれもが、遠くの業者らしくて来てくれなかったり、通じなかったりなんだよ。もう一回フロントに行って、そう言ったら、今度はまた別の業者をいくつかリストしてくれたんだけど、娘が言うには局番からして、どれもやっぱり地元の業者じゃないからきっと断られるだろう、って言うんだよ。それに業者の名前からして役に立ちそうに見えないだろう?

確かに。そのリストの名前は、何とかリモサービスとか、リムジンサービスとか、デラックスリモとか、そんなのばっかりで、空港に行くだけのタクシーを出してくれそうな名前じゃない。

でも今手元にあるのがこのリストなら、この中で何とかタクシーを出してくれるところを探さないといけないでしょう、ひょっとすると来てくれるかも知れないし。それに、部屋に戻れば、ここに来るときに使ったタクシードライバーの電話番号が残っている。私たち家族と、娘、それから娘の友人たち二人も一緒に私たちの部屋に向かう。

息子が必死にトライしてみるがすべて断られたとき、娘の友人が「ここまで来てくれなくても、Northampton(娘たちの大学のある町)までいけばキャブは来てくれるよ。そこまでジェレミー(グルームの弟)がどうせ帰るんだし。」といって、自分が使った事のあるタクシーの番号を教えてくれた。それはいい考えだ。彼の弟に頼んでNorthamptonまで行って、そこでキャブに拾ってもらうように予約をすればいいのよ。と娘が同意したので、わたしは娘に頼んだ。「じゃあ、お願いだからそこに電話して来てもらってくれる?大学っていっても、どこのストリートとか、ビルディングとか、ちゃんと指定しないと拾ってもらえないでしょ?あなたしかこの辺りの事も大学の周辺も知らないんだから。」

ところが娘は冷たく突き放した。弟に向かって、”You do it! It's not my job! You're grown-up."

そばにいた私は自分が真っ青になるのが分かった。自分の耳で聞いたのでなければ、彼女が自分の弟に、皆も前でそんな事を言うなんて信じなかっただろう。自分のためにわざわざフロリダから来てくれた弟に、ホテルの不手際なのか誰の不手際なのか分からないけど、タクシー一つ呼ぶ事ができないことを自分の責任と思わないで、逆に弟の責任のように言う我が娘を信じがたい気持ちで唖然と見つめた。そして、きっとこの場できょうだい喧嘩が勃発するのは避けられないだろう、こんな日に、お友達の前でさ、と覚悟したとき、息子は娘の言葉が聞こえなかったかのように落ち着いた声で、

「なんていう名前の場所を指定すればキャブが来てくれるの?」と聞いた。そして、姉の友人がくれたナンバーに電話して自分のクレジットカードナンバーを伝えキャブの予約を済ませた。息子は何一つ不足がなかったように自分の荷物をまとめ、姉の友人たちに別れを告げて、ホテルの正面に向かって行った。夫が見届けようと一緒に部屋をでる。私はほどきかかった帯を解いて服に着替えたらすぐに後を追うつもりだった。

ところがその数分後、息子と夫があわてて部屋に戻ってきた。

新郎の友人たちも、彼の弟も誰もNorthamptonに行ってくれる人がいない、結局新郎のお父さんが空港まで直接送ってくれる事になったから、例のキャブはキャンセルした、ところがキャブはキャンセルは受け付けないし、たとえ車を出さなくても、所定の料金はクレジットカードから引き落とす、と言う。それが理にかなっているかどうかは知らないが、息子はここでも怒鳴りたいのをぐっとこらえて、「Thanks a bunch for helping!」と静かに皮肉を言うにとどめた。

いろいろあったけど、それでも新郎のお父さんのおかげでどうやら空港まで安全に間に合う時間に着けそうだとほっとして、私と夫は息子を送りにホテル正面に向かう。お父さんが車を出してくれている。新郎はその近くに友人と一緒にいるが息子には見向きもしない。娘も弟と私たちの用事はもう済んだという顔をして行ってしまった。私たち両親だけが、息子を送り、お父さんにお礼を言う。

腸が煮える思いで。いや、単なる怒りではない。娘の晴れの日なのだ。しかも彼女は一生懸命努力した彼女の「良き日」なのだ。そこに息子が駆けつけてくれた。彼だってわざわざフロリダから来るのは用意ではなかった。行きも帰りも乗り継いで、ほぼ一日がかりで来ている。土曜の早朝寮を出発するために、金曜から眠っていなかったと言っていた。今日も寮に着くのは深夜のはずだ。息子は怒りを見せることなく姉婿のお父さんに感謝して帰って行った。私は涙をこらえるのに必死だった。

私も夫もすっかり疲れていた。でもこの日はまだ終わりではなく、娘夫婦に誘われて、彼らの友人達二人と一緒にCorn Mazeに行くことになってしまった。二人の住むアパートにほど近いCorn Mazeのことは以前に娘から聞いて知っていた。空からコーン畑を見下ろすと絵が描かれている迷路は楽しいもののはずだった。雲ひとつなく冴え渡った秋空の下、完熟したコーン畑の土と葉の匂いは、それなりに心を和ませてくれたとは言える。心に懸かる雲がなかったら…

それに、日が差している間は心地よかったんだけれど、日没と同時に寒くなることと言ったら!わずか1時間半ほどだったと思うのだけれど、日が西に傾いたかんなと思ったら、一気に気温が下がってきて、コートを羽織っていたのだけれど、仕舞いには寒くてがたがた震えていた。土地の人達に言わせると1日の間に30℃位気温が上下するのは普通らしいが。

Corn Mazeの後は新郎のご両親と一緒に食事。

彼らと会う機会はとても少ないし、それに息子を空港まで送ってもらっているのだから、ちゃんとお礼を言っておきたいし、それに娘と一緒にいられる時間はもうあまりないんだし。

向こうのご両親に、息子を送ってもらったお礼と、新郎新婦がもう少し大人にならないとねって言う話をしていると、それをもれ聞いた娘がとってもつむじを曲げてしまった。「私は3回も電話をしてやったのよ!(弟は)もう大人なんだから。それに携帯だって貸してやったし!」とまた同じことを言い出す始末。

ここで娘にも話をしておかなければいけない、もう今夜しか話す機会はないんだし:

相手が大人かどうかが問題じゃないでしょ。相手が大人だろうとどうだろうと、これは招待したあなた達二人の責任なのよ。お父さんが空港に送ってくれなかったら、弟はフロリダに帰れないところだったのよ。あの子は何にも言わずに帰って行ったけど、ほんとはすごく怒っていたのよ。

もう済んでしまったことだけれど、せっかく来てくれた弟に不愉快な思いをさせたんだから、あとで謝ってね。あなたのほうで大人にならないとね。

娘はすっかりむくれてしまっている。自分だって一生懸命頑張ってきたのに、何で自分の弟なんかにゴマをすらないといけないのが、合点が行っていない…そんな顔をしている。しぶしぶうなずく…

食事が終わって、もういい加減にホテルに戻って眠りたかったけど、皆は新郎のご両親の家に行ってコーヒーでも…って話をしている。時間はまだ8時だったし、私たちも同行する。この次いつ会えるか分からないのだし。ただ、もう何を話していたか覚えてないなあ、時差ぼけと緊張が続いていたせいでの疲れとで腰を下ろしたとたんにボーっとしてしまって…

長い長い世間話と、それから社交辞令と、それから今日のお礼と、それからきっと日本にも来てくださいねっていう(あ、これも社交辞令?)…2時間ほども皆でお話して(ほんとにアメリカ人って話が長いんだよなあ。←これ夫の弁)今度こそホテルに送ってもらった。

ここからが私たち親子の別れだ。娘との別れがつらかったからではなくて、それもあるかもしれないけれど、傷つけた息子と大人にならない娘が心配で涙が出てしまう。どうか弟にひと言でいいから謝っておいてね、と頼んだのだが…

まあ、考えてみればそんなことを娘に頼んだ私が間違っていたのだ。親にこうしろと言われたからといって、それにやすやすと従うような娘であったためしがないのに。それを一番良く知っているはずの私が、「今日ぐらいはママのいうことを聞いてくれるんじゃないか」なんて期待するなんて…なんて浅はかだったか。

その浅はかさは、翌早朝思い知らされることになる…



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My daughter's wedding道中記-3

10月31日土曜日雨が降っている。意外にも暖かい。天気予報によると、この雨がやむと明日はきれいに晴れるけれど、寒くなるのだそうだ。

眠いのか、眠れないのか良く分からない。1時半にのどが乾いて目がさめていこう眠れないから、あきらめて起きて部屋の隅で本を読んでみる。8時ごろになってようやく夫が起きてきたので、『ダイニング』に朝食をとりに行くことにする。へー、明るくなってみると、ホテルの周りって何にもないなあ。本当に。

ホテル、と言うよりは、まさしくInnと言う名前がふさわしい。部屋の外を見ると向かいにはバーンがいくつもある。実際に使っているものだ。農耕用のトラクターとかそういうのがちゃんとある。

雨じゃなかったらその当たり歩いてみてもいいかな、なんて言っていたら、夫は寝てしまった。それを見ていた私も…。目が覚めたら、すでに午後になって、二人ともボーっとしている。部屋に置いてあるパンフレットをぼんやり眺めていた夫が、このあたりが歴史的区域(っていうの?)であることを発見して、地域の歴史を少し認識。観光地なのは知ってたんだけど。で、近くに(Innの向かいに)資料館みたいなものがありそうだぞ、とかいい加減なことを言うので、散歩がてら出かけてみることにした。

雨はほぼ上がりかかっていて、空気は澄み切って、葉を落としきっていない紅葉が美しい。150年前の入植以来の住宅がいくつも残る美しい並木道。資料館(記念館)見たいと思ったのはそこがツアーの起点で、そこでチケットを購入する。ホテルの宿泊客であることを証明してもらって、チケットは無料。ツアーと言っても自分で各住宅に勝手に入る。そこで手首に巻いたチケットを見せるというわけ。案内付きのツアーに参加するには時間が合いそうになかったので、案内図をもらって手近なところだけ行って見る。

なかなか面白かった。夫が腰痛であまり歩けなかったのと、時差ぼけでボーっとしてなかったら、私は楽しかった。風景が美しい。視界の中に景観を害するものが全くない。自動販売機も信号ももちろんない。実際に生活している地域住人も、歴史的建造物と調和しないものを一切外に置いていない。落ち葉の中にしっとりとたたずむ家々。観光地と言えども歩く人もまばらで、そこで話をするのが申し訳ないほどに静かだ。木工、陶器、織物、など当時の人々の技術を暮らしを伝える家々を見て、そこの案内をしてくれた人に「明日娘の結婚式がここであるのよ。それでわざわざ日本から来たの。」と言うのだけれど、なんだか自分でも本当の気がしなくなってくる。時空を間違えた気さえする。

少し歩いて、夫は疲れてしまい、先に眠ってしまう。持ってきたクラッカーでも食べて、私も寝よう。明日はいよいよセレモニー…

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My daughter's wedding道中記-2

例によって関空がどうしようもないので今回は中部国際空港から成田、成田からミネアポリス(ミネソタ州)、ミネアポリスからハートフォード(コネチカット州)と乗り継ぐ。

10月30日金曜日の早朝家を出ると、向こうの同日金曜日夜にホテルに着く予定。

3つもフライトを乗り継ぐのは実際疲れる。イミグレーションも時間がかかるし、だいたいミネアポリスってどこだよ?ぐらいにしか興味も沸かなくなる。6月に渡米したときには、夫がためたマイレッジ使ってビジネスで飛んだおかげであんまり疲れなかったけど、いやー、エコノミーのシートって何でこんなに前が狭いわけ?隣のおばさんはしきりに咳き込んでるし、こんなところで新型フルーにでも感染しようものなら、私(たち)職場の人達にどれほど責められることやら。

アメリカに住んでいるころはあまり思わなかったけど、日本から来てアメリカの国内線の飛行機に乗ると思うことがある。アメリカ人ってほんとにおしゃべりが好きだなあって。行きずりの赤の他人である。ほんとによくしゃべる。疲れた頭にうるさいったらありゃしない。彼らを黙らせる方法はないのかしらん?(偏見に満ちてますかね?)

ようやくハートフォード空港に着く。日没が近い。娘たちが住むマサチューセッツの片田舎の町に一番近い空港と言っても、ハートフォード市は南隣の州コネチカットにあって、そこから一路北に向かってタクシー飛ばして1時間強。結婚式を挙げるホテルは彼らの町からさらに北に向かうので、さらに遠い。1時間15分ぐらいかな?タクシー代が138ドル!チップを入れて150ドル!前に来たときは新緑の季節で日も長かったし、本当に美しい森が広がっていたけれど、紅葉の盛りは過ぎて、葉を落とした木々が寒そうだなあ…なんて思っていたら、いつの間にか熟睡していた。夫に起こされて気がつくと外は真っ暗で、唯一明かりを灯しているのが、私たちの目的地のホテルだけ。

そうか、ここか…へえ、暗くてよく見えないけど、ほんとに何にもないなあ。森の中にあるのか…。ホテルは150年前に操業を始めた、由緒ある、伝統的ニューイングランドスタイルのもの。

こじんまりとしていて、19世紀に迷い込んだのかと思うような外観、内装。個人の住宅のポーチのような玄関を入って、小さなホールを抜けると『リビングルーム』には暖炉の火が暖かく燃えていて、フロントがある。その奥に『ダイニング』があって、この付近で何か食べたいと思ったら、ここ以外にはない。飲み物、食べ物、軽食、スナック、とにかく何か口に入るものを手に入れたかったら、この『ダイニング』に来る以外に何も食料入手の方法はない。

私たちの部屋は―建築的にはなんていうか知らないけど、きれいです。花柄のウオールペーパーとドレープがたくさんかかって、ベッドは背が高く四隅にポールが付いていて、家にもこういうベッドが欲しいわ、と言ったら。「我が家には入らないよ。まず入り口が通らない。」と夫に一蹴されてしまった。アンティークのライティングビューローと、アンティークのチェストオブドロワーズが付いていて、ほんとに19世紀にスリップバックしたみたい。夫は「これじゃ仕事にならないよ」と小さなデスクにおかんむり。旅行の時も必ずラップトップ持って仕事をする彼には、見かけはどうでもよくて、インターネット接続が安定していることだけが重要なのだ。やれやれ…

私たちがチェックインするとまもなく、娘と彼と、娘の友達ジョーがやってきた。一緒にご飯を食べようとおもって。(私たちの支払いでしょ。どうせ。)

娘の親友の彼女にはずっと会いたいと思っていた。好き嫌いの激しい娘の友人でいてくれるというだけでありがたい。彼女のおかげで娘は大学を全うできたのかもしれない。少なくとも4年間のあらゆる休暇を彼女は親友のジョーとその叔母さんの家で過ごした。ジョーがおばさんのうちに居ようが居まいが関係なく、娘は『ジョーのおばさん』の家で過ごすことにしていた。ジョーは私にとっても恩人だ。

トラベルの話や、日本の話、翌々日の結婚式の話で長い夕食。食べたのはサラダ程度だったけど。疲れていてお腹も空いていなかったし。いや、お腹は空いていたけど、食欲がなかった。食事をしていても、まだ耳がおかしくて、体はふわふわするし。あー、私年をとったわ。早くシャワーして眠りたい。

明日土曜日は私たちは何もすることがない。新郎新婦はまだなにやら準備があるらしいから、私たちのことは気にしなくていいよ。まあホテルでゆっくりすることにするわ。このあたりをぶらぶらすることにするわ。何があるかさえ、まったく分からないけど。今日はお疲れ様!

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My daughter's wedding道中記‐1

My Best Friend's Weddingっていう映画があって、あれは私のお気に入り映画の一つだったけど、あれを見てたころは自分の娘の結婚式なんて想像もできなかった。彼女Middle Schoolに通ってたんじゃなかったっけ?アメリカの結婚式って華やかで面白いわね、ぐらいで…。映画だもの、ハプニングも横槍も面白いよね…。

自分の娘の時にはどうぞ何事もなく、無事に終わって欲しいものだ。それでなくても名前問題といい、娘の学校(仕事)問題といい、火種を抱えての船出なんだから。

まだ21歳なのに、、大学卒業後すぐに、9歳も年上のアメリカ人と結婚してしまった。あー、大学に行かせた時にこういう事態を予測しなかかったかと言われると、いつかはそういうこともあるかも知れない、みたいな事がチラッと頭をよぎったこともある。彼女は日本に暮らした5年間母国に順応するのが大変だったし、日本よりもあっちのほうがいいんだろうなあといつも同情していた。でも、もうちょっと大人になってからにして欲しかったな、出来ることならさ。

年齢が若いというだけじゃない。普通の21歳ほどに大人ならこんなに心配しない。それでなくても社会性がない、未熟だといわれ続けて来たあの娘。ほんとに大丈夫なの?それなら彼のほうが十分に大人なんだから、彼女の幼さをカバーしてくれる?ならいいんだけど、どうもそういう感じじゃないんだなあ。つかみどころがない性格って言うか、夫に言わせれば、どうも『頼りない』男。

法的、実質的にはすでに結婚4ヶ月が発っているにもかかわらず、彼らの生活ぶりを目の当たりにしていない私たち親としては、どうにも娘が既婚者であるという実感がない…

いつまでも動揺と憤慨ばかりしているわけにもいかず、今回の旅は親として『諦め』をつけて、『安心』を得るための。ちょっと遅くなった結婚式に向けて、アメリカ・マサチューセッツへ、いざ出発!

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え?結婚式した?

戸籍抄本を本籍地から郵送で取り寄せてアメリカにいる娘の所に発送したので、何度か電話を入れていた。なかなかつながらない。マイナス13時間の時差があるのでほぼ昼と夜が逆転していると思えばいい。週末には電話取ってくれるかな?でも、携帯電話に出られないような複雑な生活しているはずないのだけど、何かあったのかな?

こっちの土曜の朝(向こうは金曜の夜)、土曜の夜(向こうは土曜の朝)、日曜の朝、日曜の夜、月曜の朝に電話する。かなりしつこい。このくらい電話すると普通なら、「よほど何かあったに違いない」と思うだろう。その間にはもちろんメッセージも入れている。PCにe-メールも送った。

そして月曜の朝ようやく彼女は電話してきた。すぐにかけなおしてやって、ようやくゆっくり話ができるってものだ。

私「ずっと電話してたんだよ。」
娘「この間からちょっと寒かったから出かけるときはジャケット着てたんだよねー。で、携帯をジャケットのポケットに入れるじゃない?ジャケットはクローゼットにかけてるじゃない?クローゼットの中で携帯鳴ってたんだよねー。」

相変わらずどこかずれている、彼女は。

私「まあ、そんなことだろうと思ったけど。戸籍抄本送ったからね。ボストンのConsulateに持って行ってBirth Certificate作ってもらいなさいね。その他の事は進んでるの?(もちろん結婚の諸手続きのこと)」
娘「あー、うん。この前ドクターに行ってね、ヘルスチェックはしてもらったの(結婚には健康診断が必要なのだ)。ドクターがロシア系で(それは別にどうでもいいんだけど)、結構てきとうに診断書作ってくれた。よかったでしょー!」

私「そう、後必要なものはそろってるの。」
娘「うん、Birth Certificateはこれからだし、彼も自分のを取り寄せるところだし、費用のほうも大丈夫だし。」

私「お金はあるのね。」
娘「うん、大学に借りてたローンの支払いも済んだし。結婚式のほうはね、もうやったんだよね。」
私「え?結婚式?もうやったの?」

この場合の結婚式って言うのは、Justice of the peaceの前でやるものです。法務官とかって訳されてます。法的にはこれで結婚しました!書類上の届出は別に必要です。え?もうやったの?そのうちするって言ってたけど、え?したの?

私「え…え……(動揺が隠せない…)いつしたの?」
娘「さっきママにメールしたんだけどさ、この前の土曜日だったよ。(このことを知らないのは、いかにも私のほうに責任があるかのような、迷惑そうな口調に変わっている。)」
私「この前の土曜日って、いつ?今週?27日?それともその前の週?20日?」
娘「(明らかにあくびをかみ殺しながら)えっとー、いつだったかなー、眠くって日にちの感覚がわかんないけどー、この前の土曜日だよ。」
私「この前って、今日はそっちはまだ日曜日でしょ。昨日の土曜日のことなの?27日なの?それとも1週間前の土曜日なの?(だんだんいらいらしてくる私)」
娘「今日ってまだ日曜日かー。なんだか、曜日がわかんなくなってさー。今週の土曜日だよ。大学の近くにある小さいガーデンでね。二人だけで結婚式したんだよ。だから、legallyには結婚したんだよ。」


6月27日娘は法務官の立会いの下で結婚式を挙げていたのでありました!

それにしても、のんきな人です。自分の結婚式の日にちぐらい覚えていられないのかしら?しかも前日のことなのです。娘と話していると頭がぐらぐらしてきます。

その後、秋にする予定のセレモニーのことをいろいろ聞いてみる。日取りは取り合えずというところで決まっている。場所は未定。場所が未定なので、すべてが未定。なんのこっちゃー。ドレスはどんなのがいいとか、娘の好みと彼の好みが合わない、とか。あーだ、こーだといろいろ言う割にはほとんど何にも進展していない。

ように思う。(彼らの場合は不意にすべて決まってしまうので、安心できない。)何にも言わないからといって、水面下で何も計画していないわけではない。というより、行き当たりばったりで大きな決断を突然してしまうので、いきなり事が起こってしまう。

まるで私自身を見るようだ。怖いものがある。夜帰宅した夫に娘の結婚式が終わったことを伝えたら、絶句していた。しばらく絶句した後で「そんな大事なことを終わった後になって、ついでみたいに知らせてくるなんて」と憤慨していた。あいつはときたら、まったくもう!

親戚も、夫も、息子も、それぞれに面白がったり、驚いたり、不審そうにしたり、いろいろな反応をしているけれど、それが彼女の決めたことなんだもの仕方ないじゃないの。彼女は周囲の人を満足させるために生きたりはしない人なのよ。

今後が思いやられる…

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娘の婚約者の両親への手紙その2

私たちがアメリカを離れて半月が過ぎて届いた手紙―娘の婚約者の両親からの便り。私が送った手紙はとっくに届いてその返事の手紙、だと思えばそれだけのことだが、開けて読んでみるまでは実は不安だった。ちょっと日数がかかりすぎだった。

アメリカ人は、こと手紙に関しては実にマメな国民だと思う。『手紙』と言って悪ければ、『~状』的な手紙と言おうか。

季節のグリーティングカード、知り合いや親しい人のバースデイカード、お見舞いカード、お祝いカード、などなどをはじめとして、一筆書いたカードを贈りまくる。誰かの家に招待されたり、何かギフトをもらったりすると、その日のうちに必ず一筆する。アメリカにいる間にこの種のカードは実によくもらった。子供のときからバースデイギフトのお礼状で鍛えられている彼らは、何の苦もなく『~状』を書き送る、ように見える。

だから私たちが彼の両親の家を訪ねて、ささやかなギフトを持っていったら、良識ある彼らは必ずや手紙をよこすはずだった。それに半月もかかるのはちょっと不思議、と言うか、ひょっとして私たち失礼な事をしたかな?って不安にすらなりかけていた。

で、読んでみてびっくり。彼のお父さんの妹さんが亡くなったのだった。私たちが帰国した翌々日に。娘も葬儀に行ったというけれど、彼女何にも言わないんだもの!そういう事は言いなさいよ!とか思ってみるけれど、彼女にしてみたら、「パパやママの親戚じゃないし、言っても仕方ないかなーって思った」ぐらいのことだ。

それにしても、亡くなった方は(婚約者のおばさんにあたる)まだ若くて、がんだったと言うから、私たちの訪問は実にタイミングが悪かったことになる。実の妹と最期の時を過ごしたいと思ってらしたはずだから、そういう時にお邪魔をしちゃったのね。

さてさて、お悔やみの手紙は難しい。これはどんな言語でもきっと難しいと思う。どうしよう、困ったなー、って思ってたら息子が言った。「英語のお悔やみの手紙のほうが簡単だよ。日本だと、お悔やみはこういう風に書かないといけないって言う形式があるだろ。英語にも一応そういう表現はないことはないけど、決まった形はないからね。自分の好きなように書けばいいからさ。要は心がこもっているかどうか、ってことさ。」と。

そうだね。そのとおりだね。これで決まった。ビジネスレターなら夫に押し付けるけど、こういう手紙は(どういう手紙も)私に任せなさい!

決して流暢でもないお悔やみの手紙を、ひやひやどきどき頑張って書いた。娘よ、もう少し気遣いできるようになってほしいなあ。一応大人なんだからさ。

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娘の婚約者の両親への手紙

そうだ、手紙を書こう。娘の婚約者の両親に。もてなしていただいたのだし、帰国の時には空港まで片道1時間以上かかる隣の州の空港まで送っていただいたのだし。(彼らにすれば自宅から往復3時間半ぐらいかかったのじゃないかな。)

こういう関係って、どういう関係なんだろう?日本では娘の嫁ぎ先の家と実家とは特別に行き来していないと思うけど。それは私の実家だけの話かな?日本でのことさえよくわからないけど、アメリカではどうなんだろう?

アメリカは個人主義の国だから、結婚した二人の両親同士って、結婚式のときぐらいの関係で、後は何にもないのかな?まったく考えたこともなかったし、それって一体誰に聞けばいいんだろう?

とにかく今回の訪問のお礼の手紙を書こう!

手紙を書くのは嫌いじゃない。日本語でなら。英語で書くのはちょっと時間がかかる。何しろスペリングがひどい。最近まで英語を教えていたりする手前、大きな声じゃあ言えないけれど、私のスペリングは悲しい。(息子がよく笑いものにする。「ママのハンドライティングは本当に上手だと思う。たぶん僕の人生の中であった誰よりもうまいと思う。中身を別にすればね。」)

友人に書くのとはちょっと違う。何しろ娘の将来がかかっている。娘を含めて私たち3人だけが彼らの知っている日本人だ。アジア人という点でもきっとそうかもしれない。私たちを見て『日本人はきっとこうなんだ』と思うに違いない。外交官の気分だ。

緊張するなあ。

とは言いながら、引き出しの中を探し回って、便箋を取り出して―日本風にすかしの入った和紙がいいかな―これに印刷しようかなー、なんて思ったら、思い出した。プリンタの黒インクが残り少なくなっていて、買わないといけなかった。すぐに買いに行こうか、それとも夫が言っていた(もうちょっと安く買う)のを待ってようか、どうしようか考えて、書くことにした。ハンドライティングだ。

それにしても自信がないなあ。夫に見せようかなあ。これでいいかなあ、あちらさまに無礼にならないと思う?って。でも、夫が帰宅するのはほとんど深夜だしね。疲れ果てていて、きっと週末にでもならないと読まないよね。まあいっか。私が勝手に書いとこう。

文法のミスも、多少の表現の不自然さも私は実は気にしたことがない。それはずうずうしいからだと息子が言うけれど、英語はセカンドランゲージなんだから仕方ないじゃん、というのが私の持論だ。流暢に書いてあるかどうかより、心がこもっているかどうかが大事なのだ。手紙の形式とか、雛形とか、そういうのは無視しよう。自分が思ったままを素直に書けばいいのだ。

かくしてつたない手紙を書き送った。うーん、そうは言っても不安はある。失礼にならないように、ちゃんと書けたかな?わたしの気持ち伝わったかな?

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娘が結婚を決めた時

どの親もそうなんだろうか。とっても不安。

でも、当人たちの決意が固いとしたら、反対してもどうしようもない。

来年6月から12カ月かけてRNの資格を取るんだという。大学で取った単位と、これまでの2年間にオンラインで取得してきた単位が生きて、かなり期間を短縮してのことらしい。そのあとはまず間違いなく就職できると本人は踏んでいる。まあそうだろう。今のアメリカで求人があるのは医療現場だろう。

(Biochemistryの分野で研究職に就きたがっていたけれど、この経済状態では政府主導のこのフィールドでは求人そのものがなく、まして外国籍ではね。さらに勉強したくてもこの上のスカラーシップの追加はかなり難しそう。既に4年間多額のスカラーをもらってBachelorを取っているんだから。)

当面の進路を変えて(少なくとも今後数年は)就職に有利な分野で資格を取って就職しよう、という彼女の決断については、何も言う事はない。彼女の決断だし、費用の事ばかりでなく、本当に自分がやりたいと思う事、人の役に立っていると実感できる事をしたい、と言うなら何も言う事はない。RN(Registered Nurse)のコースにかかる費用は出してあげよう。もともとあと何年かは学校に行く予定だったんだから。

で、そういう事をしつつ、まずは結婚するという。

法的な手続きはすぐにも始める。セレモニーはもっと時期を遅くして、でも来年6月以前にする。学校が忙しくなるから。仮のグリーンカードを得たら、本グリーンカードの申請に入る。今年12月には学校への願書を出して、合格すれば来年6月からのコースが始まる。(合格しなかったら?と聞いてみたら、その時は別のところを考えている。引越しないといけないけど。)順調にいけば2年後には就職できるところまでこぎつけているはず。ちゃんを働いて、少なくとも産休の資格が取れるまでは子供は作らない(計画外ってこともあるよ…)。将来的には出来れば西海岸(できるだけ北の方)に移住したい。日本に少しでも近いから。彼は現在の会社に不安を感じているので、転職は視野に入れている。

不安を感じるのはしょうがない事だと思うんだけど…

経済的にも。
(彼の両親はちょっとリッチだけど、彼自身はどう見てもたいして稼いでいるとは思えない。いくら収入がありますか?って聞いていいと思う?)娘の学費は私たちが出してやろうと思っているけれど。彼女が就職して二人で働けば何とか食べて行くんだろうけども。それにしても、いつまでも不況は続かないだろうとは思うけれども、終身雇用のないあの国では転職は日常的だけれども、だからといって成功するとは限らない。どうも危なっかしく見えるんだけど。

親戚とか。宗教とか。
カソリックじゃなくても、クリスチャンじゃなくても、それどころか無神論じゃでもいいよ、とは言ってもらったけれど、親戚が大変そう!毎年何十人も彼の両親の所に集まってセレブレートしてる。

結婚式は伝統的なカソリック教会でのセレモニー。をするのね…私は何の知識もないし、何より離れているから手伝ってあげる事が出来ないよ。費用もずいぶんかかるだろうな…渡米費用だけだってバカにならないし。彼の親戚は既に舞いあがっているらしいから、果たしてどうなる事やら。

子供はしばらく作らないとか言ってるけれど、まあそう計画通りに行ったところで、それでもそのあとの子育ては結局自分にかぶってくるよ。

不安は尽きない。

あー、心配は尽きない。

夫は「もう娘は彼のアパートに住んでいるし、向こうの親も喜んじゃってるし、なんか既成事実化しちゃって反対とか賛成とかそういう次元じゃない」と言って不機嫌この上ない。

彼と会っている時も、彼の両親と会っている時も、(つまり3日間ずっとだけれど)、自分から話をしようとしない。仕方ないので私が錆びた英語を必死に振り回して一人で喋っていたじゃないの。彼らはきっと夫は英語が話せないと思ったろう。

父親は娘の結婚を喜ばないというのは世間では常識だけれど、彼は娘と特に仲良しだったわけじゃないし、感傷的なものというよりは、彼らのプランや実際にやっている事がどうにも自分のスタンダードに達していないと思っているのだ。

そりゃあ私だって喜びの気持ちはなくて不安ばかり。親の目から見れば危なっかしいの一言だけれど、でもね。これは彼女の人生なんだよ。たとえ失敗するのが目に見えていたとしても、これは彼女の人生だから、彼女が自分で決める事なんだよ。無理やり日本に連れて帰ってきたとしても、彼女はそもそも日本に適応するのが難しかったから、アメリカに戻ってしまったわけで、再び日本でうまく行きっこないし。

将来の事は誰も分からないし、うまくいかないかもしれないけれど、それでも娘がそうしたけれは自分で失敗しなくてはいけないのだ。

彼女の人生なんだから。

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行ってきました

夫と二人。米国・マサチューセッツ州に住む娘に会いに。『行く』の『行っちゃいけない』の、『時期を延ばせ』の、散々もめた挙句それでも何とか無事に行ってきました。

以前カリフォルニアに住んでいた時には直行便が使えたし、さして遠いという感じもしなかったけれど、マサチューセッツは遠いねー、ほんとに。関空発の北米便がないので仕方なく中部国際空港を使わざるを得ず、新幹線プラス名鉄で名古屋に移動しないといけなかった事もあるけれど、デトロイトで乗り換えてハートフォードまで。さらにタクシーで1時間。「夜になってしまうから出迎えは良いよ」なんて断ったせいで、120ドルも!?かかってさらにびっくり!

木曜日の朝家を出て、現地ホテルに着いたのは木曜日の夕方6時ごろ。ただし時差がマイナス13時間なので、丸一日かかった事になる。思ったより入国がスムーズで良かったかな。

(帰国の時はデトロイトからのフライトはプラス2時間。あ、それから、着陸後の機内検疫で、どなたかが検疫に引っ掛かったおかげで、留め置かれる事さらに1時間!)

行き帰りの道中という点では大きなトラブルもなく、まあ良かった。現地マサチューセッツでの天気も上々で、外的な要素は特に問題なし。あ、そうだ!ホテルはどうしようもなかったなあ。妙な言い方だけれど、だってほんとにそうなんだもの。もっとましなところにステイしたかったけれど、あまりに田舎なもので近くには他にホテルがなくて、どうしようもなかった。文句を言うのはやめよう。

無事に帰って来られたのだし。

たった3泊だけの旅だったのだし。

それにしても3泊の間に、私たちの世界は大きく変わってしまった気がする…

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道中記第4日

最終日。今日は帰るだけ。彼が空港まで送ってくれるのか、と思って期待していたら用事があるらしい。タクシー呼ぼうかな、と思っていたら、ご両親が代わりに送ってくださることに。ホテルから1時間以上かかるので申し訳ないと思ったけれど、せっかくのご好意なので受けてしまった。話のネタもそろそろ尽きてきたとはいっても、今から結婚式までの間で会う機会はたぶん無いので、知り合っておくいいチャンス。

それにね、昨日触れなかったことが一つ。わざとじゃなくて、とにかく緊張のあまり大事なことだったんだけど、落としてしまったことが。宗教です。彼の家系は代々ローマンカソリックで、私たちは日本的仏教徒(いったい何を信じているのやらいないのやら)。おまけに娘本人は「何にも信じてないよ」という人。そこの所は問題にしないの?宗教の違いは大丈夫?

ご両親はあっさりと、宗教は個人の自由の問題だから、この国は自由の国だから何を信じても信じなくてもいいのよ。ときっぱり。

多くのアメリカ人クリスチャンの宗教に対する考え方はかなりおおらかというか大雑把というか、緩やかだと思うけれど、日本人の宗教観といったら、ちょっと外国の人に説明するのも恥ずかしいほどに「オンチ」なのだ。私は自分自身を含めてはっきりと「宗教オンチ」の国民だと思うし、なんとなく心を癒してくれるものならばどんなものでもオーケーよ、って言う国民は世界中探してみてもそうはいないのではないかしら?

彼の両親に自分たちの宗教について説明するのは、実はとても難しいので、昨日はもっとハイテンションなレベルの話をしていたので、そういう中では国民の宗教観の話なんてねぇ…意図せずしてそこの部分を取り残していたというか…

でも彼らがとても明白に、宗教は何でも良いのよ、と言い切ってくれたので、やっぱり説明の義務があると思う。だって、私が「私たちは仏教徒です」と言ったとしたら、彼らにとってその意味するところは少し違ってくると思うのだ。大晦日に除夜の鐘で煩悩を払った仏教徒は、その鐘の音も消えきらない数時間後に今度は神社に出向いて拍手を打ったりするだろうか?仏教徒とクリスマスはいったいどんな関係があると言うのだろうか?

無節操なまでの日本人の宗教観を一応説明しておかなければ。

私たちもそうだけれど、多くの日本人にとって、仏教はほとんど文化的な背景になっているだけで、自分達でさえどこまで宗教なのか、文化的な習慣なのか分かってないのです。良く言えば宗教的に寛容で、悪く言えば怠け者っぽい。無節操と言われても仕方ない。正直何を信じているかと聞かれれば、答えられない人は多いだろう。どうしてこんな国民性かと聞かれても、私も良く分からない、歴史的なものなのかな?それぐらいしか今説明できないわ。

それで彼らが納得したとは思わないけど、まあ、初めて会ったのだし、今日でしばらく会うことはなくなるのだし、あまり複雑な話をしてもねえ。

とにかく当人たちの間ではずい分揉めたんじゃないかと思うの。宗教観は。うちの娘はそういうことをはっきりと言う人だし。ハイスクール時代にバイブルはそれなりに勉強してたし。きっと彼に色々言ったんだと思う。にもかかわらずお互いをベストなパートナーとして認め合っているんなら、周りがとやかく言うことじゃないよね。

そうこうしているうちに、空港に到着して、今度は結婚式で会いましょうね。是非日本にも来てね。って、お別れになったのでした。送っていただいた車を降りて、スーツケースを転がしながら「旅は終わったね」と言ったら、夫が「今朝車を見送ってくれたあの子がとってもさびしそうな顔をしてた。」とつぶやいた。そうだね。きっとさびしいし、不安だろうね。でもあの子はたった一人でここに来てちゃんと自分の根を下ろして、こうして頑張って生きて行こうとしてるじゃないの。大丈夫だよ、きっと。(そう思うことにしよう。)

久しぶりに英語ばかりの環境で必死に話したり聞いたりしたものだから、何だか耳が痛い。この感覚久しぶり。あと2,3週間いられるともっと自然になってくるんだけどなあ…残念…

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道中記第3日

今日は彼の両親に会いに行く。お昼ぐらいに来てくれといわれているので、まず彼のアパートに行って、そこで娘に朝ごはんを作ってもらう。トーストとオムレツ―娘がオムレツを作っている!しかも中に入れる具の手順やフライパンについて講釈付!―彼は自分でオートミールを作って食べている。

食べた後は、出かけるまでの間何もすることはない。散歩してくると言って夫と二人で部屋を出たけれど、行く当てはない。アパートと、芝生と木々のほかはコンビニと小さなモール。その辺を歩き回ろうにも、道路は一直線に伸びた道1本きり。仕方ないので、大きなメープルの木下でボーっとしている。天気はすばらしくよくて、何も考えずに済むならばこんな素晴らしいバケーションは無いように思う。

夫は終始無言で何を話しかけてもウンとかスンとしか言わない。(言わないよりましではある)

両親の家は遠くなかった。車で3,40分くらいかな。緑の木立の中を延々と走って、白く塗られた美しい家に到着。芝は緑が濃く雑草は一本も見当たらない。近隣の家との間は広く空いていて、松の大木の並木が背後の農場との仕切りになっている。

ご対面である。まずはご挨拶。手土産を渡して、素敵なお家ですね(本当に素敵なお家なのだ)!プールサイドに張り出したテラスで、長旅をねぎらっていただいて…えっと、何を話したらいいんだろう?向こうがいろいろと気遣って聞いてくれる。昨日見に行った大学のことや、お互いの家族のこと。娘が弟の事をいろいろ聞きたがって(彼女にしても弟は1年前に会って以来なので)弟のことでちょっとだけ場が保てる。

娘は空気を読んで行動することが何より苦手で、その場で思いついたことを何でも言ってしまう間の悪い人だけれど、今回は彼女がこの場を救っている。私たちはめっちゃくちゃ緊張している。私も夫も。向こうの両親も満面の笑みを浮かべてはいるが、緊張しているのが分かる。彼は自分の親の家ではあるが敏感になっている。一番リラックスしているのはうちの娘だ。あけっぴろげな発言で緊張のガスを抜いてくれている。あと、猫がいた。猫たちは空気を読まないだけにありがたかった。

家の中を案内してもらう。雑誌では見たことはあったけれど、こんなに手をかけられて、愛しまれてきれいに使われている家に通して貰ったのは初めてだ。家具の一つ一つ、部屋の壁紙、お金もかかっているけれど、何年もかけて自分たちで手を入れてここまで美しい家にしましたって言うのがよく分かる。

それに家の外ときたら!庭の花々はよく手入れされていて虫食いのあとすらない。我が家の虫でぼろぼろになった花々を思うと恥ずかしい限りだ。いったいこれだけの広さの庭と、芝生を手入れするのにどれほどの時間と労力を費やしていることか。夫は庭はまったくの門外漢なので、ひたすら黙って後を突いて歩く。私が一人で花や木々をほめている。

エーと、大事な話はどこですればいいのかな?私はそれしか考えられないが、誰も切り出す様子が無い。家に来てもう1時間もコアな話には近寄ろうとしない。ここでも私か。仕方ない。

実は昨日二人と将来の話をしましてー。私たちも彼らに祝福を贈ったんですよ。ってところから始める。一斉にみんなの緊張の度合いが高まって、そして少しだけほぐれる。みんな共通の土俵に立ったことを宣言したので、それなりに安心した。お互いに。結婚のセレモニーを計画しているようだけれど、私たちはこの国での習慣とか何も知らないし、遠いところにいるので実際にしてやれることが少ないと思うのですよ。せいぜいお金を出してやって、それからセレモニーに出席するくらいしかできないと思うのです。どうぞ彼らを助けてやってくださいな。

それからは、少し和やかになったかな。はっきり言って何を話したかあんまり覚えていない。なんだかずっとしゃべっていた。向こうのご両親と私とで沈黙が怖いのでしゃべり続けるっていう感じ。娘はその間に退屈になったようでプールに寝そべって水で遊び始めるし。

私、思わずご両親と彼に「はっきり言って、まだこんな子供ですよ。それでも本当にいいの?」って聞いたもの。向こうはいまさら遅いよ、って思ったかもしれないけど…

自分の事で人が真剣に話をしているって言うのに、とりあえず自分の用が済んだらさっさと自分の世界に入っていってしまうって言うのが、いかにもあの子なんだけど、そんな子どもみたいな娘でほんとに良いわけ?

彼はよほど人間ができているのか、それともとんでもない勘違いしているのか、「彼女のいいところも悪いところずっと見てきてよく知っている。それで良いんです。」って落ち着いて言うけれど。

ここら辺が親と他人の見る目の違いなんだけど、私から見たら娘なんか結婚どころか社会に一人前として送り出すのさえまだ早い半人前。彼には、彼女は社会性が未発達な子どもじゃなくて、そういう人格を持った大人。

んー…うまく行くかしらね?

お昼ごはんは軽くピザですませて、ディナーは大学近くのインディアンレストランへ。料理はとってもおいしかった。雰囲気もよかった。途中で娘がいきなり、もう食べられない。と言って食べるのをやめてしまったけど。こういうことは別に不思議なことじゃない。自分が食べたくなくても、食べている振りをする、とかいう事が出来ない人なんだから。向こうのご両親が心配してくださるので私としては冷や汗ものだったけれど、彼女が子どものときのように「もう食べられないから、外に出てきて良い?」とか言わなかっただけましだった。ずっと緊張してたんでしょう。だからだわきっと。

みんな納得。

考えてみれば、きっとそうだ。あの子がこんなに緊張してるんだ!これは驚きである。この2日半親にずっと付き添って、あれこれ気を遣って(彼女にすれば120%の出来だ)、とんでもなく緊張していたに違いない。そっかー。

でもさー、ご両親が優しい人たちでよかった。物静かな彼はこういうご両親から育ったんだ。と実感。日本と違って、お姑さんたちと同居する習慣が無いから、出来の悪いうちの娘でも我慢できるのかなあ。それでも、快く受け入れてくださってる様子。批判がましいことも一言も口にされなかったので、器が違うのかなー、と感心してしまう。

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道中記第2日

娘と彼がホテルにピックにやって来た。今日は彼女の卒業した大学を案内してくれるという。ホテルのある場所は大学まで約20分ぐらい。数少ないモールと点在する住宅のほかは木々しかない。大学の付近だけは様子が少し違って、あ、ここがダウンタウンね、と分かる。

それにしても教会が多い。小さな街でダウンタウンもこじんまりとしていて、でも教会だらけだ。どれも古くて大きくて美しい。レンガ造りのどっしりとした建物があちこちにある。と思ったらいつの間にか大学の中に。大学の建物はどれもこれも赤レンガで緑の木立の中に溶け込んでいる。大学の中には森があり緑地が広がり川が流れている。すでに夏休みになっているので、学生は少なくて、入ることのできる施設は少ない。

ここもやはり木が多いけれど、木が多い、というよりは、もともと大きな森であったところに、建物を建てていったのだろう。そうでもなければこれらの木の大きさ、古さは説明できない。木ってこんなに大きくなるものなんだ…背が高いし、幹が太いし。でもこのあたりの人々はそれを不思議に思わないらしい。「木が」「木が」という私を不思議そうに見ている。

日本でも、カリフォルニアでも、少なくとも人が生活している地帯でこんなに木を見たことがなかった。カリフォルニアは砂漠だしね。

大学の中で娘が最も好きな場所という植物園、4年間頑張ったシンクロナイズドスイミングのプール、結構メジャーなアーティストの作品が多い美術館を案内してもらう。学生数は少ないけれど広大な敷地なので、もっと歩き回るのはあきらめた。時差ぼけでぼうっとしてるし。

早めのお昼ご飯をダウンタウンのどっかで食べようか、と言う娘たちに、食べるよりも例の話をしたいから、どっか座れる場所に行こうよ。カフェでいいからさ。

とはいっても朝10時半に開いている店は少なくて、仕方ないのでダンキンドーナツでもいいか。グループで店に入って、カウンターだろうがテーブルだろうが、注文しようとするときって、その人たちの人間関係がすごくよく分かるよね。娘と彼(それから私たち)との関係もなんかギクシャクして内心おかしかった。

たかがドーナツ買うだけのことで、大げさみたいだけれど。私はいろいろ考えるのが嫌いなので、いつでも一番最初に目に入ったものを注文する。ベーグルだ。アメリカ人はいろいろトッピングとかうるさく聞いてくるけど、私は何も要らない、ということにしている。夫は決めたのかどうかも分からず黙っている。彼は小声で娘に何にするか相談している。店員は私たちが注文するものかどうかじっと待っている。娘は私に似てせっかちなので、うんざりした顔で、私たち3人に向かって早く決めてコロコロ変えないように命令する。自分勝手で人のことなんか気にしたことのなかった彼女が、この場を仕切ろうとしているのだ。

ドーナツ(ベーグル)をはさんで向かい合って、とりあえず食べよーか。黙々と。ドーナツはいつまでも持ってくれないんので、そのうち何か話さなくては…

夫のほうを見たら彼の目は私に訴えている。そうか、やっぱり私が口火を切るのね。はい、はい。

えーっと、それでね、と切り出すと、娘は間髪要れずに「私たち結婚します!認めてください!」だもの。

こう言われてしまってはねー。

夫は相変わらず何も言わないので、私がいろいろ聞いてみる。

卒業後の進路のこと。もともと考えていた進路とは別の方向に進もうとしているわけだし。看護師の資格をとることにしたとか言って、約1年後に学校に入学(編入)しようとしている。大学でとった単位と、この間長期休暇を利用したり、オンラインだったりで必要な科目を履修してきているから、残すところ後1年ほどの実習でRNの資格が取れる見込みという。問題はどこの大学を選ぶかだけど、今までの成績的には問題ないはずだと。問題なのは費用の方で、学生ビザとグリーンカードではスカラーシップもぜんぜん違うと。(それはもちろん知ってるわよ。でも結婚はそのための手段じゃないわよね?)

結婚の法的な手続きは『許してもらえれば』すぐにでも始めたい。A justice of the peace(法務官)の立会いでの結婚式はできるだけ早くして、同時に、ペーパーワークのほうも進める。正式に婚姻届が受理されたら、グリーンカードの手続きに入る。親戚・友人を呼んでのセレモニーは秋か来年の春を考えている。(娘の学校が始まる前に。)

もう彼らなりのビジョンは決まっているのだ。「ここまで決めてるんだもんなあ。現に一緒に住んでるんだし。もういろいろ言っても、既成事実化してるじゃないか。」夫は私に日本語でぶつぶつと。

不満なら自分でおっしゃい!英語ができないわけでもなかろうに!

娘たちも、夫も、3人ともが私をすがるように見つめている。まるで私が運命を決定するかのように。では、少しは親らしいことも言わなくては。アメリカでは離婚率が高くて、日本でも最近はそうする人が増えているけど、私は離婚を認めませんよ。

彼の家系は代々ローマンカソリックで離婚を認めないし、私は日本人だから大丈夫よ。とは娘のせりふ。大丈夫だといいけど。

私たち親の時代とあなた達の時代とでは家庭のあり方が変わっていて、夫は外でお金を稼いで妻は家を守り子供を育てる社会ではなくなっている。現に娘もこれからさらに学校に行ったり、フルタイムで働こうとしている。二人で家庭を築く準備はできているの?

もちろんです、分かっています。彼は本当に口数が少なく物静かだ。目の前にいるのでなかったら、そこにいるのを忘れてしまう。(ちょっとその言い方はひどい、我ながら。)言葉は少ないけれど、その真剣さを信じるしかない。

それなら、認めましょう!と言ったら、二人の笑顔がはじけた。二人とも相当緊張してたのね。当然と言えば当然だけれど。幸せそうな笑顔を見るとこれ以上何を望むんだと言う気がする。一方で、不安は消えない。娘はまだ21歳で彼は30歳。人種も、宗教も、生まれ育った環境もずいぶん違っている。

第2日午後

幸せそうな娘たちとは裏腹に、私も夫も心配の灰色雲に覆われてしまっている。Congratulations!の言葉は白々しくもある。

じゃあ、あなた達のアパートを見せてちょうだい。

一週間前に同じアパート群の一室から引っ越したばかりと言う新居へ。2階建ての建物が広い芝の中に点在して、木立を背景にして環境的には申し分ない。建物 そのものは古そうだ。彼らの部屋は、縦割り長屋的ないわゆるコンドミニアムと呼ばれている形式のもので、中は階下にダイニングキッチンとリビングルーム、 デン(小さめの書斎程度の部屋)トイレ、階段上がって2階は行かなかったけれど上に3つのベッドルームとフルサイズのバスルーム。広さの点では京都の我が 家より大きい。家の周りは広い芝生に囲まれていて(ここはパブリックスペース)、ダイニングの吐き出し窓を開ければそのまま外に出られるし、この開放感は 日本のどこにもない。

引っ越したばかりだからあちこち箱があったり出しかけだったりと、忙しそうだが、それなりにきれいになっている。ここまではプラス。

マサチューセッツ州は日本で言えば北海道と同じくらいの緯度のようだが、冬は寒くて雪が降ってしかも長い、のに、夏蒸し暑いときている。で、エアコンがア パートの中に1つしかない。しかも、そのエアコンときたら建物を同じぐらい古いんじゃないの?彼に向かっては言えないので娘にそっと聞いてみた。「あ、あ れ?もう動かないんだよ。」

あ、そう。どうせ飾りなら、もうちょっと新しそうなのがいいよね…あのさ、エアコン買ったげようか?壁に穴開けたりとかできないの?

「窓枠とか古いから、曲がってるし。いろいろ取り付けると建物壊しそうなの。大丈夫。夜になると気温が下がるから、窓開けて寝られるし。木が多いから鳥が多くて、朝早くから鳥の声で起こされちゃうけど。」

エアコンはあきらめよう。

あれ…洗濯機は?ないの?集合住宅は洗濯機を各部屋に置いてなくて、共同のランドリーがあったりするけど、ここはそもそもないの?

「隣のブロックの小さなモールにコンビニとコインランドリーがあるから、そこに行かないといけないの。隣なんだけど、重い洗濯物かついで歩いていくと結構大変なのよ。」

うん、うん、あれは大変だと思う。たぶん10分はかかると思う。洗濯物って重いから大変そう。いつもクオーターコイン用意しておかないといけないし。洗濯 機さえ置けないのか…置く場所ならいくらでもありそうなのにね…あ、アパートのレントに水道代込みだから、洗濯機が置けないようになっている。なるほど…

それにしても、レントって高いんじゃないの?これだけの広さと部屋数があると。いくら古くってもさ。

「ベッドルームが一つ余るから9月から一人ハウスメートを置くことが決まってるの。そうすればレントも1/3負担してもらえるし。」

え?新婚なのにアパートに間借り人?

「うん、きれい好きな人手ね。最近離婚したから隔週の週末だけ2歳の子供が会いに来るのよ。週末は子供がここを走り回ることになるの。ダイニングキッチンとか片付けとかないとね。」

え?間借り人プラス2歳児?

だめだ…頭がぐらぐらしてきた…どういう生活するんだろう?この人たち…

しばらく彼らと一緒にアパートにいたら、眠くなってしまって、いつの間にかソファーに座ったまま夫と二人でうたた寝をしていたらしい。時差ぼけ。

まだ外は十分に明るいけれど、時間は遅くなっている。緯度が高い地方である上に今夏時間だから。

晩御飯はコリアン。メニューの相談でまたギクシャクするのはいやなので、男たちを待たずに娘と二人で適当に選ぶ。夫はどうせたくさん食べられない人だし、 彼も大して食べないだろう。(これは見かけから。実際そうだけれど、食べ物の内容は相当許容範囲が広い。何しろ娘の作ったものを食べている。)

食事はおいしかったし、みんなが食べられない分私が頑張って食べたけれど、スパイシーすぎたかも。じんましんがひどくなってしまった…

今夜はホテルに娘のための部屋も予約して、部屋間移動ができるようにドアで繋がった隣の部屋を取ってある。と、思ったら、何のことやら、ぜんぜんだめじゃ ん!昨日ちゃんと確認したのに!もう他の人を入れてしまっているんだもん。娘は結局上の階の部屋に泊まることになり、これじゃあ、彼女の部屋を取った意味 ないじゃん!夫はむくれているけれど、不機嫌の原因はこれだけじゃないから。

娘と話をするどころか、夫は部屋に入るなり寝てしまった!娘のほうも、さすが親子、しかっり寝てしまうし。まあ明日もあるさ。

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道中記第1日

新幹線で名古屋まで行き(関空発の北米線がほとんど無くなってしまってなんとも不便!)、中部国際空港からデトロイト経由でコネチカット州のハートフォード空港へ。

名古屋-デトロイトはラッキーにもビジネスだったからすごく楽だったし、イミグレーションもちっとも混んでなくて、デトロイト-ハートフォードは短時間。木曜日の朝家を出てからここまで来るのにほぼ24時間かかっているから、もちろん疲れているけれど、相当順調。

娘のいるマサチューセッツ州の小都市はこのハートフォードからタクシーで1時間強。タクシー代も高っいなあー!今回は滞在が短いし、あちこち観光するのが目的じゃないから、国際免許証も取って来てないし、レンタカーを借りない予定だから、仕方ない。でも空港からホテルまで軽く100ドル越してるじゃないの、チップを入れると120ドルか…

「次にここに来る時は―次に来るようなことがあるとすれば、だけどさ―レンタカー借りたほうがいいよな…」と夫がつぶやく。「でも長時間のフライトで疲れてて、知らない土地を左右反対の交通ルールで運転するのって、結構きつい…」とぼやく私。運転手はたぶん私。いや絶対私。夫が運転すると言っても、それは怖い。この9年間彼はほとんど運転したことがない。彼に言わせれば日本で運転していない分、アメリカの交通ルールのほうがなじみやすい、ってことになるかもしれないけれど。いやいや、私が運転いたしますよ、その時は。

ハートフォード空港はいかにもニューイングランド地方の小空港、っていう感じのこじんまりした空港で、森林の中にある。空港を出てからインターステイト91号をひたすら北上する。その間車中から見えるのは木立だけである。4年前に娘は一人で同じ道を大学まで行ったのだわ。一人で大阪を出て、誰一人知り合いのいないこの道の土地に降り立って、どこまで続くのかわからない森の中の道を一人で行ったんだ。しかもあの時は夜になってたはずで、そうだ、空港であの子のスーツケースは誤って別の飛行機に積まれてしまって行方不明になったって言ってたっけ。あの時17歳。一人でどんなにか心細かっただろう。

それにしても新緑が美しい。京都は今頃入梅前ですでに暑苦しいって言うのに。

この旅の最初からそうだけれど、夫はほとんど口を利かない。このところどんどん無口になっているので、また悪いサイクルのほうに向いている気がする。タクシーの中でも黙り込んだままだ。ドライバーが不振そうな雰囲気になっている。あーあ、私が頑張るしかないか。

景色のことを聞いてみようと思っても、木ばかりだ。仕方ない。木でも褒めておこう。今がベストシーズンでしょ、って言ったら、とんでもない、ベストは9月末から11月はじめ。紅葉が美しいから、そのときに是非また来なさいと。ここに海外から人が来るのは、きっとお子さんの卒業式でしょう。と言われて、なるほどそうか、と納得する。うちの娘だって、2週間前に卒業式だった。残念ながら卒業式そのものには間に合わなかったけれど、在学中に来てやる事はできなかったけれど、そうか、大学に通う娘のために、その町と大学を見に来る親の姿か…妙に納得してしまった。

ホテルと言っても、観光地ではないからモーテルに毛が生えた程度のものだ。選択の余地もない。他にないんだもの。ホテルのフロントの従業員はインド訛りがきつくて、夫とはほとんど意思の疎通ができないほどだ。私が両者の通訳をして、笑ってしまった。不満を言えばきりがないけれど、VIPってわけじゃないんだから我慢しよう。少なくとも環境はすばらしい。どっちを向いても木ばっかりだ。

ホテルの部屋に入ってから娘に電話をすると、仕事を追えて帰宅した彼と二人でホテルの部屋に来てくれた。一年ぶりの再会だ。ちょっと痩せた?去年の今頃帰国したときはコロコロ太っていたけど。彼のほうは、変わってないみたい。

彼らは『晩御飯』持参だ。娘が自分で作ったらしい。「長旅で疲れてるから外に食べに行く気にはなれないでしょ。」という思いやり。大きくなったなあ。

メニューは、玄米ご飯(炊飯器を買って炊いたのだそうだ。上手に炊けている。"We bought a rice cooker."なんて言うものだから、夫は「"We"って何だよ!」とおかんむりだけど。)ヒヨコマメのキャセロール(みたいなもの)、それからナスの煮物。デザートにチェリー。

ナスの煮物はインターネットで調べたのだそうだ。頑張ったのはわかるけど、日本のナスと米ナスはまったく違うものなので、同じ調理法ではどうしても皮が硬くって…娘かわいさに頑張って食べたけれど…ごちそうさま!

私は娘に何一つ教えてやらなかったのに、それでも頑張ってるじゃないの。ちょっと安心。それにしても彼は娘の作った不思議な食べ物を文句も言わずに食べてるじゃないの。よほどの味音痴か、それとも愛の賜物か。

「娘の親の部屋に夜やってきて一緒にご飯を食べている、なんておかしい。」と夫は機嫌が悪い。「まだちゃんと話をしたわけでもないのに、なんだかもう夫婦気取りだ。」夫の気持ちもわかるけれど、それを言うなら、自分で娘にそういえばいいじゃないの、何も彼らが帰った後で私に向かって言わなくても。明日の夜は、娘が隣の部屋で泊まる予定だから、ゆっくりと話ができるわよ。

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ようやく

渡米できる事になった。このフルー騒ぎのせいでずいぶんやきもきしたけれど、ようやく『マスク騒動』も鎮火し、夫の会社も「北米への渡米禁止」を解いてくれた。やれやれ。これで夫婦そろってアメリカに行き、娘に会う事が出来る。のんびりと観光で訪れる事が出来るのなら良いのだけれど、この旅はどうなる事か…

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