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娘のご帰還―第10日

大晦日は私は仕事。夫は休み。娘と彼は、娘の大学時代の友人が偶然今大阪に住んでいるから彼女に会いに行くという。

そっか、みんなそれぞれ気をつけて行ってらっしゃい。ママは今日も夜遅くなるから、じゃあ、帰ったらみんなで年越しそばを一緒に食べようね。

雪の大晦日、しかも夜になって凍結も始まった。夜更けに仕事を追えて帰宅してみるとみんなで待っている。年越しそばを食べよう!除夜の鐘を聞こう!
京都の知恩院の鐘、ここでも聞こえる?それはないでしょ!窓を開けると聞こえるんじゃない?とんでもない!寒いし、雪が降っているし、テレビで十分。

一年間みんな頑張ったね。最後の最後まで仕事で、しかも明日も昼からすぐ仕事が入ってて、みんなごめんね!でも、こうやってみんなと一緒に一年を終えることが出来るなんて最高の年越しかなあ。

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娘のご帰還―第9日

ウエディングフォトを撮る。

もう1年以上前にアメリカで結婚式を挙げて、当然写真も撮って、それで何が不足というのじゃない。それでもう終わりのつもりでいた。でも、日本に来たら着物を着せてみたいなあ…なんて考えてしまったもので、写真だけ日本風の結婚式の写真を撮るのもありかも。

というわけで、探してみたら、そういうサービスは結構あるんです。服を買うのも好きではないし、着物を着きるのも「そんなの無駄」と気乗りしなかった娘だけれど、なんと彼のほうが乗り気で!!!和装での撮影の運びになりました。
白無垢の花嫁衣裳と紋付袴。どうなる事やら…と思っていたけれど、これが意外や意外、似合ってるじゃないの。馬子にも衣装とは言うけれどね。

まるでお人形のようにかわいらしく出来た娘の姿に「可愛い!」とはしゃぎまわる私。(誰だって花嫁姿は可愛いものです。それから彼が意外にも羽織袴が似合っている!のにびっくり。あれこれポーズしていくつもいくつも撮ってもらって、この中から1カットだけ選ぶのってもったいないなあー!

でも、楽しかったねー!

写真出来たら、アメリカのお父様お母様にも送ろうね。きっと喜んでいただけるよ。彼があまりに和服が似合っているんで、こういうスタイルで毎日出勤するって言うのはどう?うん、そうすると毎朝遅刻かな?着るのが難しくて、時間掛かり過ぎちゃうなあ。もっともで…

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娘のご帰還―第8日

今日お義母様はお帰りになる、夕方の飛行機で。でも私は今日は午後から仕事なので、見送りは夫と娘と彼にお任せ。夫は今日から正月休みだし。

お義母様のフライトまで時間はたくさんあるけど、どうする?夫は何もアイデアがない。仕方ないので必死に考えた私の提案は、平等院に行こう!お義母様が行ったことがあるかどうかは知らないけれど、我が家から車でほど近いから、私が娘と彼を連れて行き私はそのまま車で帰宅できるから、というのが理由だ。夫は自分の親なんだし、今日はお帰りになるまでしっかりお世話しなくてはね!

平等院は割と好きなところだ。庭園もいいし、何より鳳凰堂の姿が美しいし、展示博物館が良い。問題は、みんながそう思っている点で、休日はいつも駐車場を見つけるのに苦労する。今日はどうかな?

さすが12月29日ともなるとみんな忙しいのか、それとも、こんなに寒い日に宇治川のほとりで吹きさらしになりたいと思わないのか、今日は空いているじゃないの。

パーキングを見つけられたので、じゃあ、私もちょっとだけ平等院を拝んでいくことにする。

さ、っさむーい!けど、やっぱり鳳凰堂は美しいです。「6月に来ると蓮池とか花が咲いているし、もっと良いんだけどね」とべんかいしてあげたんだけど、寒がっているのは私一人。彼も娘もけろっとしている。

内部の詳しい説明とか、博物館とか全部夫に振って、じゃあ、皆さん楽しんでね!お義母様、遠いところをありがとうございました。私今日は仕事でここまでしかご一緒できません。申し訳ございませんが、気をつけてお帰りください!

あー、私はこれから家に帰って、今晩のみんなの夕食の準備と雑用を済ませて、それからお仕事です!忙しいけどお義母様と娘たちとの板ばさみになるよりはずっと気が楽…

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娘のご帰還ー第7日

今日は一日休みだから、お義母様とお付き合いする約束になっている。娘と彼を伴って、お義母様をホテルでピックアップ。と言っても、京都は電車やバスが便利だね。今日は電車にしよう。お義母様と一緒の時はタクシーにしよう。

京野菜が買える所に行きたい、お世話になった人に贈りたいから。というので、きっと錦市場に行けばそういうところがあるんじゃあないかと、錦は一度も行ったことがないけれども、行ってみよう!

『ローカルなフードが何でもそろっている市場だからちょっと面白いかも』と期待したとおり、私には面白かった。お義母様の望みどおりの京野菜も買って地方発送も手配して、「あなたの息子から『お土産買ってやってくれ』って預かってきたから、ここは私が」、とかっこよく支払いもして(ホントは私のお財布から出てます)、お義母様はご機嫌よろし。

でも、娘は今日は少しご機嫌斜め。

なぜなら、何年かぶりに会うおばあちゃまって『ツカレル』のだそうだ。彼のコートに糸くずがついていたら、それをなぜ妻である自分がとってやらなければならないのか?通りを歩きながら買ったばかりの焼き栗を食べて、手が汚れたら、パンパンとはたいておしまいにしてはいけないのか?彼がティッシュが欲しかったらそれを自分で言い出す前に妻である自分が気づいてそっと差し出してやらなければならないのか?おばあちゃまが当たり前と信じて疑わないささやかな『妻たるものの心得』が、チクチクと娘を逆なでしているようだ。

私の方の親戚の人たちは非常に大雑把な人達で、細やかな気づかいはないけれどもそれを相手に求めることもないので、日本的な心遣いが苦手な娘には気楽だった。ところが、パパ方のおばあちゃまと来たら几帳面で超きれい好き、気配りと心遣いと常識が身上のお方なので、『宇宙人』の娘には確かに付き合いづらいはずだ。困難を予想していたので事前に娘には言い聞かせていた。「わざわざあなたに会いに来てくださるんだから、感謝しなさいね。たった一人の孫娘で、小さい時にはずいぶん可愛がっていただいたのよ。お祝いもたくさんいただいて良かったわね。」と。

娘としてもおばあちゃまには、大人になった自分を認めて欲しいと思ったに違いない。昔の彼女なら、きっとここらで切れているに違いないところだがずいぶん我慢している…様子が見て取れる。

「がまん、がまん!」と目で合図する私。幸いなことにおばあちゃんまには娘の半べそが気づかれていない…

錦小路、寺町、新京極、特に目的もなくぶらぶらして、お腹も空いたのでお好み焼を食べよう。私がお好み焼きが苦手なせいで、日本にいる間娘はお好み焼き屋に行った経験がほとんどない。彼がお好み焼きが食べたいというのでなかったら、私は絶対に行かなかったと思う。ソースと鉄板が嫌いなのだ。でも、私はもてなし役なんだから。食べたいものを聞かれて、「お好み焼きが食べたい」と自分の主張が出来ただけで彼としては大仕事だ。私の苦手なんかどうだというのだ。ここは頑張らなくては!

お好み焼きで顔と体が温まって、どうしよう?どこにいく?お義母様は足腰がすっかり弱くなって、歩くのがちょっと不安。この前会ったときはもっとしっかり歩いてらしたのに、寄る年並みには勝てません…

では、清水に行きましょう。タクシーで、清水寺へ!とはいうものの、車が入れるのは坂の途中まで。そこからは何とか頑張って歩かなくてはね。

いやー年末だって言うのに、人多いなあ!年中いつでも清水さんは人、人、人、なんです。あれ?昔の印象では修学旅行のイメージだったんだけど、年末だから修学旅行は少ないっか、でも、妙に外国からのお客様多くない?特にアジア、特に中国語が目立つなあ!耳に立つって言うのか。若年層の中国の人達の多いこと。へえ!時代は変わったなあ!あ、私たちも『外人』連れの観光客でした!

その外国人の彼と娘は坂の途中のみやげ物店の試食用八橋に夢中です。気に入ったなら買ってあげようって言うんだけど、珍しいものだからつまんでみているだけなのね。

で、本来の目的の清水寺のその舞台に立って、ご本尊様を拝み、(遠くて見えない!)、庭を歩いて、(雪がちらついて、それにしても寒い)一通り観光コースをぶらついて、お寺なんかどこも同じに見えるでしょ?(清水さまごめんなさい。)もう帰ろうか?と彼を振り返ったら、なんとお守りを買おうとしている!

君はカトリックだろう!何してるの?え?交通事故が多い友人のために『交通安全祈願のお守り』を買うの?あ、そう。まあいいけど。

お義母様もお守りを買うのね。はい、はい、皆さんどうぞ。

帰りは、やっぱり坂の途中で『黒ゴマソフト』を食べて、他にすることもないから、というかお義母様はあまり歩き回れないから、我が家に戻りましょうか。ゆっくりのんびりして、晩御飯はどっか食べに行きたいところ…なんだけど、娘は『ママの料理』が良いひとだから、おうちご飯。

晩御飯の後は娘がおばあちゃまを送って行く。自分のために来てくれているのを一応自覚している。車でホテルまで行くより、電車のほうが速いから、ママはいいよ。わたしだけでというので任せてしまおう。

お義母様お休みなさい!

 

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娘のご帰還―第6日

私のほうの親戚に会ったその余韻も冷め遣らず、今日は夫のお母様が宮城県からいらっしゃる。彼には連日の試練でもある。まあ、娘のほうでもアメリカで彼の親戚に囲まれて頑張ったんだから、彼も頑張らねば。私にだって試練なんだから…

お義母様は本当は我が家に同居したい。今すぐにでも出て来たい。ずっと世話をし続けてきた犬がとうとう寿命を全うしたので、彼女はすぐにも京都に来たがったのだけれど、夫が「娘たちも来るし、ちょっと待って」とストップをかけている。お義母様としては孫娘には会いたし、早く呼んでよ!と思っているのは分かっているけれど、わたしは敢えて自分から「さあおいでください」と声をかけていない。今、それどころじゃないのよ。娘夫婦で私の年末年始はいっぱいになっちゃってるから。

伊丹空港に迎えに行ってあげても良かったけれど、伊丹から京都駅まではバスが出ているし、敢えて迎えに行かず、京都駅まで自分で来てもらった。京都駅に迎えに行くから伊丹でバスに乗る前に電話してね、と言ってあった。ところが到着予定時刻を30分過ぎても電話がない。荷物を預けるのが嫌いな人だから機内持ち込みしかないはず。どうしてこんなに遅いんだろう?と携帯にかけてみると、お義母様がささやき声で電話を取った。「あのね、もうバスに乗っちゃったの。電話が怖くって…」

『電話が怖い』とはどういうことか分からない。でも、明らかにバスの中で話をしたがっていないし、私たちがバスの到着より遅くなっても待っていてもらうように言いおいて、とりあえず迎えに、GO!私と、娘と彼。夫は今日月曜日は仕事。

何とか京阪ホテル前で待っているお義母様に無事会えて良かった。

まずホテルにチェックイン。うちに泊まってもらうことができなかったわけじゃないけど、なんとなくこうなってしまった。ところでお義母様、私今日夕方から仕事なの。あまり時間内から、お昼食べたらみんなでうちに来てゆっくりして。晩御飯作っておくから、みんなで食べてね。娘が夜はホテルに送っていくから(電車で)、くつろいでてね。何年ぶりかでおばあちゃんに会う娘と、彼とにお義母様を押しつけて私はお仕事へ。大丈夫かなあ?何か話すこととてあるんだろうか?

でも、私だってそう毎日休みは取れないし。

ほんとのほんとのところ、お義母様にずっと付き合わずに済む様に今日と、明後日仕事入れました!なんだけどね。でも、そのせいで限られた時間頑張っていいお嫁さんになっているんだよ。

あー、仕事に行ってる時間がこんなに幸せだとは!頑張れ娘たちよ!

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娘のご帰還―第5日

夜が明けると外は雪景色。それは昨夜から変わっていないけれど、でも今日は昨日より寒さが緩んだ感じ。

旅館風の朝食ももろともせず、しっかりご飯のお代わりをして(わたしもしました!)平らげました。私と夫は町を歩いてみようかなあ。彼は露天風呂に行くという!え?そう?気に入ったんだ!じゃあ、いってらしゃい。

ここ湯村温泉は源泉の温度が97度だか98度だかで、とっても熱いので有名。外の温泉で卵や野菜や、かになどの、茹で物が出来る。傍の土産物屋で生卵を買って、それから夫が大好きなサツマイモも買って、ちゃぽんとお湯の中へ!夢千代像とか、お寺とかお散歩して、茹で上がった卵とお芋を持って、これは実家のみんなにお土産!夫「単なるゆで卵だろ。」

実家に着くと、娘は早速「海に行こうよ。」「えー?この寒いのに?」と実家のみんな。彼らは海なんていつもそこにあるのでわざわざ雪が舞う中で凍えながら行く意味が分からない。

私たち4人は海に向かって歩き出す。娘一人だけまるで子供みたいにはしゃいで(いつものことだ)走って砂浜まで行ってしまう。海が近いと言っても、水際までは数分かかる。あっという間に娘がいなくなって、彼と私と夫と、寒さに首をすくめながら、黙々と歩く。このあたりは私の子供の頃とはすっかり風景が変わってね、昔はこのあたりまで水があったのよ。子供の頃から天気が悪くなければいつも海で遊んだものよ。娘も夏休みにはこの海でおじさんにもぐり方を教えてもらったのよ。私が取り繕わなければ、この3人の組み合わせは最悪だ。夫も彼も無言比べか!

やれやれ、ようやく砂浜を走っている娘を見つけた。言わんこっちゃない。靴が濡れた!?パパが寒さで凍えて死にそうだから、私たちは先に帰るよ。どうぞ冬の日本海を楽しんでちょうだい。

義姉が昼食を用意してくれていたのでしっかりいただいて帰途に着く。これから運転するからあんまり食べちゃいけないんだけどな、でも、お寿司おいしいな。お土産に松葉ガニと、母の育てた大根とお餅といただく。

さあ、頑張って運転しなくちゃ!

(やっぱり眠さとの闘いの帰路であった!)みんな眠かったみたいで、娘なんか時差ぼけのせいよとかいいながら気持ち良さそうに寝息を立てているし、私以外の人はみんなでこっくりこっくり。私もこっくりしたいよー。途中で休憩とっても、それでも眠いんだよなあ。あー、こんなに眠いドライブは初めてでした!

おつかれさまー!!!みんな今回の旅は良くがんばりました。You did a very good job!!!

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娘のご帰還―第4日

今日はいよいよ親戚に彼をお披露目です。まず私の実家鳥取へ。唯一の心配は雪なんだけど、とりあえず実家までたどり着けば、あっちではスノータイヤに履き替えた車が待っていてくれるから雪道も何とかなりそう。

運転手は私。夫は帰国以来数えるほどしかハンドルを握っていないから、どんな長距離も頼れるのはいつも自分だけ。

昨日急きょガソリンスタンドで買ったタイヤチェーンを積んで、いざ出発!これを使わなくてはならない事態に陥りませんように…!

中国道は、雪が舞っている。雪片が舞っているのをみて彼は喜んでいる。雪が好きなのだ。そうでしょうよ。冬の寒さと、雪と、豊かな自然に囲まれて育って、しかもそこから出たくない生粋のマサチューセッツっ子なんだから。 

京滋バイパスから、名神、吹田で中国道、佐用からは鳥取道が出来て(あと数キロだけ未完成区間があるだけで)本当に鳥取が近くなった!でも、これって私だけ?かも知れないけど、このトンネルばかりの美しい鳥取道って、眠くなるの。路面が白っぽくて、トンネルばかりで、すでにいい加減運転してきていて疲れがあるから余計なのか、結構睡魔との闘いなんですよ。中国道の本線では感じない目の疲れがあるんだなあ。それを除けば、これのおかげで本当に時間短縮です。ありがとう、鳥取道。

心配した雪は路面には全くなくて、周囲の雪景色の美しいこと!例年は道路の心配をするのが嫌さに、この時期に敢えてドライブしたことも実家に帰省した事もなかったので、本当に久しぶりの故郷の雪景色。子供の頃はよく大雪が降ったけれど、近年は温暖化のせいで年内に積雪なんてこともめったにないときいていた。雪化粧した田舎の風景が本当に美しい。

多少時間がかかるけれど、雪交じりの季節風が吹き荒れる砂丘沿いの道を選んで走ってみた。寒いし、砂まみれになるから、車窓から眺めるだけにしてねー。でも、冬の海岸は内陸育ちの彼には十分に珍しい光景だ。明日少し寒さが緩んだら砂浜を散歩させてあげよう!

無事に実家に着いて、みんなとご対面!私の母、兄、兄嫁、それから姪が2人と甥。みんなは彼とは初対面だけれど、娘に会うのも実際2年半ぶり!みんな大きくなったなあ!おばあちゃんは小さくなったかな。

そのおばあちゃんと、兄は娘たち夫婦に結婚祝いの金封を用意してくれている。身内はありがたい。おばあちゃんは自分のところにも孫が3人いるけれど、いつも私の子供たちにも同じようにお祝いをくれるのだ。けして多くない年金の中からこれだけのお金をためてお祝いを下さっているのよ。小さい時もお世話になったけれど、大人になってもこうしてたくさんいただいて、感謝しなさいね。彼も頑張って覚えた「アリガトウゴザイマス」。はい、よく言えました。

今日は、実はこれからみんなで湯村温泉に行くことになっている。みんなで温泉に入って、娘たち夫婦と、私と夫の4人は湯村温泉で一泊するの。実家の皆は一緒にホテルに一泊すればいいんだけど、まあ、費用のこともあるし、それに何しろ近いしね。一緒に会食だけしてご帰宅お願いします!

冬タイヤの車に乗り換えて湯村温泉へ。実家からは車で40分ぐらい。山陰海岸は入り組んだ海岸線のせいか、結構雪が多いところで、湯村もほんの少し海岸から離れているだけなんだけど、ぼこぼこと海に突き出した山の裏側でしっかり雪がたまる。

鄙びた日本の温泉宿、あーこれぞ日本の風景だー。きれいだなあー。檜の木立の中に露天風呂がある!雪と露天風呂かー!

はじめは水着を着て温泉に入ってもいい?なんていってた彼も、あれ?甥っ子と一緒にみんなで露天風呂に行っちゃった!娘は熱いお風呂は苦手だからどうしよう…なんて言ってたけど、みんなが行くなら行ってみようかな…私と一緒に露天風呂へ。

私、温泉はあんまり魅力を感じてなかったんだけど、意外とこれがいいんだなあ!齢のせい?夕暮れの雪が肩に降りかかる中、岩と檜の木立に囲まれた露天の温泉。

いいでしょ!

彼はいったいどうしていることやら、嫌とは言えずにみんなに引きずられるように勢いで付いて行ったものの、大丈夫?

あんまり観想を言わないんだなあ。彼は。

体があったまった後は、お食事です。まあよくある温泉宿の会席です。あれこれと珍しい日本の食べ物をみんなでわいわいと解説しながら、、通訳は娘と私と夫と。あ、姪の一人は英語みたいなものを話すから大丈夫(娘によれば”She speaks a few words of English.”)。みんなに受けたのが彼の箸使いの上手さ。無理しなくていいと言っているんだけど、普段から日本食を食べる時には箸を使うようにしているようだ。娘に鍛えられたらしい。兄なんかは、自分の娘たちや私の息子よりも上手だとほめて(確かにうちの息子は箸が下手だ。兄は会うたびに彼の箸遣いを無駄に直そうとしている。)、それに未知の食べ物への柔軟さに驚いている。

彼は食べ物に対して柔軟で、雑食性が強いと思う。大食漢では決してないけれど、出されるものは拒まない。なま物だろうが、納豆だろうが(納豆は実際好物なのだ)、頭の付いた小魚の佃煮を除いて、ほとんどOK。これはありがたい。とってもありがたいけど、こんなに何でも食べさせて大丈夫かなあ…無理して食べてるんじゃないよね???

お食事もほぼ終わり、めぼしいものは食べつくし、集まってくれたみんなにお礼の言葉を述べて、娘もみんなにお礼を言って、さあ、彼の番だよ。あいさつなさい、もちろん英語で。ちゃんと通訳するから。ってわけで、顔を赤らめながらようやくいえたんだけど、娘のほうが「日本語がわかんないよ。」とは情けない。仕方ない。「つまり、『こうして今日皆さんに温かく迎えていただいて感謝いたします。そしてこの皆さんの家族の一員になれたことを光栄に思います。』って言ったのよ。」と助け舟を出してやる。

私の流暢な日本語のおかげで(絶対そうだと思う)、母は泣いているし、年々涙もろくなっている兄も感動して眼を赤くしている。いやー、身内ってありがたい。みんなに大切にされていることを忘れないようにね、二人とも。

さあ、記念写真をたくさん撮って、今日はこれでお開き。皆はこれから凍結し始めた雪道を通って家に帰らなくてはならないからね。

じゃあ、明日はまた、そっちのうちに行くからね。また明日!

田舎の温泉地、雪は降っているし、それどころか凍結し始めているし、夜だし、何もすることとてないので、もう一度誰もいないお風呂に入って温まって、おやすみなさい!

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娘のご帰還―第3日

今日はママは一日お休みだからね、みんなでクリスマスショッピングに行こう!

あ、でもその前に、何と言っても婚姻の届出、ってやつを完了させよう。今日は24日で金曜日だから、今日を逃すとひょっとして彼らがいる間に区役所の窓口が開いてる日がないかも。

婚姻証明書持って来た?あ、これね、Certificate of Marriageね。翻訳が必要だって言われたから、翻訳して、っと。名前、生年月日、お父さんとお母さんについての情報、それから職業、住所、受け付けた日と、受け付けた市職員の名前と、治安判事と…。

え?結婚する当事者二人の性別?なるほど…日本では、「両性の合意に基づいて」だけど、マサチューセッツは同性の結婚が合法だものね。ハイ、ハイ、それにしても、日付が多いなあ…証人の証言のところは適当な日本語で、っと…

翻訳は意外に時間がかかるのだった。さあ、プリントアウトしたら終わり!って言う時にえ?プリンターが動いてない?やれやれ、トラブル直しているより、同じこと手書きしたほうが早いよ。ってことで、手書きで翻訳つけました!

さあこれでよし!区役所で無事に結婚の届出が終わり、娘の苗字問題は棚上げにしたまま、彼女は日本の戸籍上は親の戸籍を離れて一人戸籍を持ったのでした!

向こうでの法律上の結婚から実に1年8ヶ月たってからこっちでの手続きがようやく決着を見て、ほっとしましたこと!

普通なら婚姻届を出すって言うのは特別なものかもしれないけど、彼らの場合はいろいろありましたもの、これは単なる事務処理って言うことで、特に感慨もなく、私のほうでは一つ処理すべきことが終わったってことで。

じゃあ、これから3人で買い物に行こう!

京都駅の近くとかも新しいモールが出来たんだよ、レストランもあるしさあ、行こうか!娘とハズバンドを車に乗せて、

で、何か欲しい物がある?

あのね、ママ、欲しい物があるの。日本のお弁当箱が欲しいなあ。

あ、お弁当箱ね。それじゃあ、普段のスーパーマーケットがいいかなあ。
ここは意外に楽しいかも。

色とりどりのお弁当箱やら、調理器具やら、アメリカにはこういう可愛いのってないよね、といいながら娘は楽しそうに している。彼のほうはほとんど声を出さない。私が怖いのかな?時差ぼけもあるのかな?こういう人なのかな?まあ、興味がないわけじゃなさそうだわ。ただ値段表示を見てもぴんと来ないだろうし、いまどきのドル安では日本の物価はちょっと高いかな。う ん、ここはママが買ってあげるよ。クリスマスだからね!

じゃあ、ランチは外で食べようよ。何が良い?レストラン街をくまなく歩いた挙句、娘は「こういうちゃんとした料理は食べられそうにないから、フードコートみたいなところでちょっとだけ食べるんじゃだめ?ママお腹空いてしっかり食べたいの?」とくる。「あなたは良くても、彼は日本に来てから1日半まともなもの食べてないわよ。」

娘は自分がしたいこととしたくないこととが実にはっきりしている。遠慮を知らないわけではないと思うが(希望的観測)、「食べたいか、食べたくないか」と聞かれた時に、お腹が空いて本当は食べたいのに「どうでもいい」という人の気持ちは理解不能なのだ。23年も生きてきたけれども、他の人が遠慮したり、『空気を読ん』だりして本音を言わないでいることがある、というのがなかなか理解できない。

もちろん彼は何か食べたいに決まっているわよ、お願いだから何が食べたいのか聞き出してよ、ママが聞いてもはっきりしないから。

まず、レストランか、フードコートか。

日本のレストランがどういうものかは分からないので、彼としては娘に従うしかない。外から見ているだけではどこがいいのか選ぶことも出来ない。

レストランに入るのはやめて娘の言うとおり、フードコート済ませることにしたものの、それでも何を選ぶか、というのはさらに難しい。写真つきだったり、現物だったり、他の人が食べていたり、それがどういうものか、娘が一通り全部説明する。それでも、彼は優柔不断な人なのだ。何が食べたいのか、何なら食べられるのか、決めることが出来ない。ひょっとすると本当は食べたくないのかもしれない。

困った顔をして悩んでいる。

私は心配になってきた。無理強いして食べさせたくはない。カレー、ラーメン、、ビビンバ、お好み焼き、たこ焼き、うどん、ワッフル、アイスクリーム…所詮その手のものでどこにでもあるもので、こう言っちゃなんだけど、無理してまで食べなきゃいけないほどのものじゃない。

ただ娘はこの決められなさ、意見のなさにイライラして、仕舞いには怒り始めた。『一体全体何が食べたいのよ、はっきりしなさい!私はビビンバにするわ。あなたは、たこ焼きとクレープがいいの?』と思い付きを適当に叫んでいる。

たこ焼きとクレープがいい…かわいそうにハズバンドは本当にたこ焼きとクレープを食べることになってしまった…

私は、釜揚げうどんの店で適当にてんぷらやおにぎりを追加して、席に戻ってみると、彼は本当にたこ焼きを食べている。娘は普段なら一人前のビビンバを半分も食べられないというのだが、半分怒りながら思い切り食べている。「たこ焼きと、クレープなんて、ホントのジャンクじゃないの!」日本語で怒った後で、しっかり英語でも怒っている。

何もそんな風に言わなくても…いいじゃないの、日本の食べ物をいろいろ試してみたいわよ。それにしても、自分の意見を言わない男だなあ。大丈夫かなあ?

フードコートで、ささやかな諍いと、ヘビーカロリーのランチを取った後、今度はショッピング。あれこれ試着したりそれなりに楽しんであー、よく歩いた!

夜はママのおうちご飯。

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娘のご帰還ー第二日

来てすぐなんだけどさあ、ママは休みじゃないんだよね、今日は。実は天皇誕生日とかって言って、national holidayで、それでパパは会社がお休みだから、家に居るわよ。3人でどっかで食事してきたら?と勧めてみるが、案の定娘は、外で食べるの嫌いだから、ママが作ったものが冷蔵庫に残ってるじゃない?それを食べたいな。

あなたはそれでよくても、彼はどうなの?と促すと、彼は例によって、"Ah, I don't know."である。基本的に食事に対して自分の意志が弱い。

仕方ない。じゃあ、仕事の前に何か作っておくからね。

こういうこともあろうかと、事前にローストチキンを買っておいたから、これで今日のもてなしはおしまい。ママはお仕事行くから、作り置きのものを食べておいてね。

今日のシフトはロングなんだなあ。早く出て、夜ラストまで。ごめんね、みんな。
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帰宅してみると、夫は2階の自分の書斎にこもって例のごとく仕事中。娘とハズバンドはリビングのカウチでかわいらしく座って私が帰ってくるのを待っていた。テレビを見ていたんだとか、日本語のお笑い?分かるの?わかんないと思うなあ…

私の顔を見るまではおきていようと思ったらしい。可愛いもんだ。

で、ローストチキン食べた?

ううん、彼が納豆食べたいって言って、納豆食べたよ。あと、残り物の煮物とか、大根もあったしね。みんなちょこっとづつ食べた。

え、そうなんだ…納豆ねえ…いいけど…


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娘のご帰還―第一日

関空が北米線をやめてしまって久しいので、娘たちは成田空港に到着してJRで京都駅まで来ることに。「成田空港からは大丈夫よ。JRを使うほうが簡単だし、それに時間とかsecureでしょ。英語でsignもたくさん出てるから。」

このあたりからすでに外国人なんだけど。成田空港で出国してからの指示を細かくメールしてやって、成田エクスプレスと乗り継ぎの新幹線の名前と号、何号車かということを必ず電話するようにね。公衆電話が少ないから探すの大変かもしれないけど、乗る前に必ず電話してね。万一京都駅のプラットフォームでママの姿を見つけられなくても勝手に出口の方に行ったりしちゃだめよ。必ず降りたところで待っていてね。そこに迎えに行くからね。

やれ、やれ、ちびっ子一人旅か!

ハイ、無事に会えました!

詳細なdirectionを書いてもらったから、ほら、ちゃんとプリントアウトして持ってきたよ。

京都は寒いでしょ?

えー?ぜんぜん!マサチューセッツじゃあサブゼロは当たり前だもん。

そーっか…

この日はもう夜なので、食事らしい食事もいらないといって、シャワーをしたらお休みになりました。

ただ、かのハズバンドは、借りてきた猫状態。何を聞いても"Ah, okay."しかおっしゃらない。疲れてるんだよね、長旅と時差とで。それに緊張するしさ。Wifeの実家に単身乗り込んできてるんだしさ。

おやすみ!

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娘のご帰還―その準備

ひょっとしてどなたかこのページを覗いて下さる方のためにひと言―

めちゃ個人的な日記ですよ。千葉県で過ごした幼少期、大阪でインターナショナルスクールに通った中高の5年間以外はアメリカで暮らす日本人離れどころか、地球人離れした娘のことが書いてあるだけです。

まあ読めば分かりますけどね。

さてさて、2009年11月の結婚式以来一年以上ぶりの再会。結婚式のための渡米では、顔を見るぐらいでゆっくり話す機会もなかったものねー。弟のタクシー事件とかもあったし、本人たちはもちろんの事みんなで緊張したり、とがってみたり―、まあ、結婚式なんてそんなものなんだろう。娘としては、2年半ぶりの日本への帰国。帰国と言っても彼女が過ごした大阪の家はすでになく、見知らぬ京都の地で、お客さんだけどね。

ハズバンドの方も、前回の帰国に確かに付いて来てはいたんだった。あの時は『単なるboy friendだった』彼にいろいろ話をしようと試みたんだけど、なんとも口が重い人なのか、優柔不断なのか、つかみどころがない答えしか返ってこないから私の心の中では『まあ、こいつともう一度会うことはないかな』みたいな結論を出していたのだっけ…あー、義理の息子です、今は。

大学卒業後彼との結婚を選び、ナースになることを決心して、現在RNへのaccelerated courseっていうやつで彼女は勉強中。大学在学中にいくつかのクラスをオンラインで履修していたこともあって通常の4年のカリキュラムは、あと半年を残すところとなっているらしい。学校と実習先の医療機関とを行ったり来たりの日々で週の半分は朝5時には家を出て、新婚のハズバンドとは週末に顔を合わすのだそうだ。彼のクリスマス休暇と自分の冬休みが重なったのでようやく念願の日本へ!!!というわけで帰っていらっしゃいました。

私も夫も、彼女に日本で会うのはいつになることやら、と期待していなかったので、マイアミにいる息子に『飛行機代高いからこの冬休みは帰ってこなくていいよ。』と強制的に大学の寮に入れっぱなし。息子はいないけれど、思いがけず娘に会えるというので、もう嬉しいやら、嬉しいやら…。一方で不安もあったりして…。2週間もいてくれるというのは嬉しいんだけど、かのハズバンドとどうやって過ごしたらいいかしらという不安やら、日本の親戚とかに会わせたいけど、彼は日本語が全く分からないから、親戚のほうでも困るんだろうなあ、とか。

それでも私の母も兄たち家族も、久しぶりに帰ってくる娘と、まだ見ぬ『外人』のハズバンドに会える期待ですっかり舞い上がっている。

私のほうはそれほど簡単じゃあないんだよ。メチャメチャ実際的な話だけど、①2週間彼らをどこに住まわせるか→お義母様のために一応空けてある和室にしよう。お義母様は別に考えましょ。
②寝具はどうするか→布団でいい?彼は布団でも大丈夫?オッケー、じゃ布団にしよう。新しい布団一式、枕、毛布、それぞれにシーツと、カバーと、冬用の敷布団パッドに、それから寒いといけないから掛け布団の予備を買って…うーん。
③食事→娘はとにかく外食が嫌い。小食で一日中食べている人名者でレストランできちんとした食事を取るのが苦手。『家でママの料理を食べたい』人なのだ。やれやれ…彼は食べてくれるのかな?
④私のサイドの親戚との顔合わせのセッティングは→温泉ホテルっぽいところ。みんなで会食!
⑤お義母様はそこにジョイン出来るかな→地理的に離れすぎていてちょっと無理だから、別途京都に呼んで数日滞在してもらうしかない。
⑥日本側での婚姻の届出がまだだった!→アメリカでの婚姻証明を持ってきて、この機会に区役所に届出を済ませておこう。
⑦せっかくだから、和装でのウエディングフォトを撮ろう→スタジオ予約と、足袋や肌着を用意して…。
⑧クリスマスから年始にかけての私のシフトの調節を→お義母様がいらっしゃる日は出来ることならお仕事はいるようにして!!!

あー、なんていろいろやることがあるのかしら!彼らの帰国までにすでに疲れが…

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リーガルマリッジ騒動―収拾を付けておかなくては

『何を今更』もう怒るも何もないじゃないの。でもさあ、やっぱり彼と、彼の両親とは話しておかなくてはね。何しろ私の育てた娘が一人合点して突っ走ってしまったんだから。夫は自分の仕事でいっぱいいっぱいだし、どうせ彼の両親とメールしたりするのはいつも私の役目だから、はいはい、これも私の仕事です。

まずは彼のお父さんにメールして、と。うちの娘が早とちりしてしまったです、息子さんがあなたたちにリーガルマリッジのことを話せなかったのは当然だったんです。何しろ内緒で先にやっちゃってたんですから。娘が先走ってしまったことを私たちに免じて許してやってください。

彼にも話しておかなくては。この彼は不思議な人で、ほとんど話をしない。でも、メールでなら、まともな英語の手紙が書ける。話すのは苦手だが、書くのは上手というタイプの人だ。(うちの娘はどんな言語にしろ、メールが非常に短い。余計なことを一切書かず、まるで昔の電文を読んでいるかのようだ。昔から、とても女の子の文章とは思えないほど簡潔で要を得ていて、もっといろいろ書いてよ、寂しいじゃん。ってぐらい。)彼にはこの件についてしっかり誤解を説いて、お互いに納得しておかないとね。

えーと、彼のお父さんと、彼と、メールをやり取りして、あー結構疲れる。一日に1通にしておこう。何しろ、気を遣うし。英語だし。

でも娘のために、これも母の仕事。
息子が言うように『今までしたい放題にさせて、野放しにして育てたから』こうなったんだわ。『今更』遅いんだけど、親の責任を果たさなくては…

これで、このクリスマスに晴れがましい気持ちで彼ら二人を迎えることができるってものだ。

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リーガルマリッジ騒動/続き

私は頭が悪いからなのか、それとも家の娘が変わっているのか、娘の話がすんなりと理解できることがあまり多いとはいえない気がする。ここもう5年半も離れて暮らしているからだけではない。彼女が日本語が得意でないので、英語と日本語とちゃんぽんになった話をするから、と言うわけでもない。昔からあの子はそういう子なのだ。

2歳年下の息子が常々私に説教したではないか。「もっと親らしく、びしっと言ってやれよ。好き放題させて、野放しにして育てておいて、ちっともいうことを聞かないって愚痴ってみたって遅いんだぞ。自分がそういう風に育てたんじゃないか!」やれやれ、確かに息子の言う通りなんだが、だってあの子は親のいうことを聞くような人じゃないんだもの。自分がそうしたいと思ったときだけ、親の言う事を聞いているように見えるだけなんだもの…

だから、親に黙って結婚するってことになるかなあ…?このあたりがどうにも私には解せないんだよなあ…

『結婚したいって言ったら、親が会いに来るって言った。親が来たら、きっと反対するに決まっている。反対されるくらいなら、親が会いに来る前に結婚してしまおう!』

いったいどうしたらそういう発想になるんだろう?反対されたから、親の反対を押し切って勝手に結婚するって言うなら分かる。でも、まだ会って話をする前の段階なのだ。反対するどころか、明確な将来のビジョンの話さえしていない。携帯に電話してきて以来、彼とも全く話していない。本来なら向こうが来日してすべき話なのに、便宜を図ってこっちが行って会ってあげようといっていたその矢先。まだ何の話にもなっていない時に、会えばきっと反対されるから、その前に結婚してしまう…か?普通…?

そんな出来損ないのテレビドラマみたいなことがあるかしら?ひたすら首をひねる私に、夫が「普通はないよ。普通ならね。でも、うちの娘は普通じゃないからなあ。」

そうか…普通の人はしないよなあ。どこの世界に『話せばきっと反対されるに決まっているから、反対される前に黙って結婚しちゃおう!』なんてやつがいるんだよ。彼にそういう風にたきつけて、私たちはいったい鬼か蛇かと彼に思われていたんだろうなあ…

娘がそこまで思い込んだということは、私と夫とはきっと反対するに違いないと思わせるようなそぶりを取っていたのだろう…か?

うーん、ここがどうにも分からない。どう考えても、私には思い当たる節がないのだ。彼の口から(何しろ娘はまだ21歳で彼は30歳、将来の見通し、生活力と、彼に主導権をとってもらわなくては)しっかりした話を聞くまでは、敢えてこの件について中途半端に不安を口にすることは避けていたし、激励もし過ぎないようにしていた。それが暗黙に『反対』に映ったのだろうか?けして『反対している』というように見えないようにしていたつもりだけれど、いづれにせよ娘はそう取ったんだろう。

そして、いよいよ渡米して、両親と彼と会ってみたら、意外なことに快く了承してくれた!娘は驚いた。彼も驚いた。さぞかし驚いたことだろう!娘が『絶対に反対されるから』と保証したパパとママが賛成してくれている!娘はこのとき初めて『悪かったと思った』そうだ。『あんなことするんじゃなかった』と。

そして彼の戸惑い…はいかばかりだったか。

今になってみれば、あの6月の対面は何ともぎこちなかったのだ。もちろん緊張していた。当然だ。結婚の決意と将来のビジョンを話せと言われて緊張しない男もいないだろう。それでなくても彼は口数が少なく、上手に考えを説明することも苦手だ。だが、今になってみればあの時の痛々しいまでの緊張と打ち解けなさは、そうか、後ろめたさなのか。と分かる。彼女の言うがままに、自分の親にさえも内緒で結婚してしまって、会ってみたら彼女の親はちっとも反対してやしないじゃないか!異国で学び、そこで暮らし続けよう、結婚しようとする娘を応援してるだけじゃないか、と分かったときの彼のバツの悪さったら、想像してみるとかわいそうでもある。

「ママ、怒ってるでしょう。」娘はそう言ったけれど、一晩考えてみて、やっぱり怒っているのではないと思う。驚き、戸惑っているけれど、実際のところ、『何を今更』というのが正直なところかな。
この件にかかわりのあった、私、夫、彼の両親、その誰もが『もう今更』怒るも何も…なのだ。

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リーガルマリッジ騒動

アメリカで結婚している娘が2年半ぶりに日本に帰ってくることになった。初めてハズバンドとして彼を連れて来る。クリスマスの時期に戻ってきてお正月まで、2週間も滞在できるというので、私も夫も、実家の親戚たちも彼らに会うのを楽しみにしている。

私は気になっていた日本側の婚姻届、っていうやつを済ませちゃういい機会だと思っている。区役所に電話で聞いたら、海外で合法的に婚姻していれば、それは日本でも当然に有効であること、日本の戸籍上の手続きは、海外の領事館に届出をするだけでいいということも知っていた。娘に何度もそのことは伝えて、折を見てボストンの日本領事館に行くようにいっていたのだけれど、遠いのと、忙しいのと、それに彼女は日本語が苦手なのとでいついつまでも先延ばしにしているのを知っていた。

こっちに来れば、私が区役所に二人を連れて行って、窓口で手っ取り早く手続きしてしまえるから、そうしようね。と娘には伝えていた。

そんな矢先、彼女が電話をしてきた。「ママ、怒らないでね。」いきなり切り出してくる。

うっ、これは嫌な予感…最近ちょっと静かにしていると思っていたら、また何か事を起こしたか?

「あのね、私たちのリーガルマリッジね。去年の6月にやったって言ってたじゃない?でも本当はそうじゃあなくて…」と切り出す娘。

まさか、本当は結婚してなかった、とか言うんじゃないわよね?

「結婚したのよ。でも、ママに話したように2009年の6月末じゃあないの。もっと、前だったの。」

話が見えない。うん、2009年の11月1日にパパとママもそっちに行って、みんなに集まってもらってセレモニーやったよね。それより前、6月末に二人だけでリーガルマリッジ(legal marriage)やったっていうのは前に聞いたから知ってるよ。彼のご両親にも出てもらわずに二人だけで治安判事のところでやったって言うあれでしょ?あの時、彼のご両親が『こんなに近くに住んでるのに、どうして知らせてくれなかったんだ。たとえ法律上だけの宣誓と言っても、知らせてくれれば必ず立ち会ったのに。二人だけでさっさとやってしまうとは!』って、お怒りだったよね。日本にいるママとパパは立ち会えなかったけど、せめていつ入籍するかぐらい知らせてくれても良かったのに…ってあの時大騒ぎしたじゃないの。

「うん、そのリーガルマリッジだけどね、本当はそれより前で、確か4月くらいだったの。」

確か4月くらいって、どういうこと?パパとママが、あなた達の結婚について話しに行ったのが、6月はじめだったでしょ。それより前にリーガルマリッジが済んでたってこと?え?どういうこと?第一、4月ぐらいってどういうことよ?法的に結婚が成立した日ぐらい知らないわけ?

「あのね、彼と結婚したいって(電話で)ママたちに言ったら、二人でアメリカに来たじゃない?でね、ママたちが来たらきっと反対すると思ったんだよね。それで、二人で先にリーガルマリッジして結婚しちゃったの。ママとパパがアメリカに来たときには、もう結婚しちゃってたの。ごめんね!怒ってるでしょ?ごめんね!」

何のことだかわけが分からない…
2009年5月に大学卒業を控えていた彼女は、確かにその少し前4月頃に電話で、彼と結婚したいと言った。それをさかのぼる2008年11月にいきなり私の携帯に電話してきて、彼は娘と結婚したいと言った。あの時は娘は大学4年生をはじめたばかりだったし、まだ21歳にもなっていなかったし、それに、携帯電話で結婚の承諾も何もあったものじゃない、反対も賛成も電話で言う問題じゃないから、会って話をしなければ何もいえないとだけ話した。でも、結局彼らの意思は固く、娘の卒業を待って学生ビザの切れないうちに法律上の手続きを始めたいから、と主張するので、私たち親のほうがアメリカに出向いて二人に会ったのだった。それが2009年6月。

「ママたちが、きっと反対すると思ったのよね。ところがアメリカに来て会ったら、賛成してくれて…黙って結婚しちゃって悪かったなって思ったの…怒ってるでしょ、ごめんね!」

絶句。

絶句なのです。娘の言葉をしばらく咀嚼して、事の成り行きを時系列に沿って飲み込む…

2008年6月―娘はアメリカの大学で3年目を終え、京都に引っ越してまだ1週間の我が家に『友達』を連れてやってきた。彼は大学の友人の近所に住む8歳年上のプログラマーで、単なるボーイフレンドだといっていた。初めての日本旅行(海外旅行)だと言った彼の同伴は、単なる偶然の成り行きで『本当は他の女友達を連れてくるはずだったんだけど、彼女が病気になって旅行が出来る状態でなくなったから、そのピンチヒッターみたいなもの』だった。はず。

2008年11月―いきなり私の携帯に電話してきて、彼は娘と結婚したいと言った。娘はまだ21にもなっていなかったし、大学4年生だし、その後大学院も視野に入れていた(はず)だったし、私は『電話で話し合うことではないし、まだ学生だし、卒業後の進路のこともあるし、会って話をするべきでしょう。この電話で賛成します、おめでとうとは言えないし、反対しているわけでもないし、会って話をするまでは、軽率に動かないで欲しい。』と言った。彼も、娘も納得した。はずだった。

2009年3月、4月―卒業が視野に入ってくる。メールでのやり取りや、時折の電話の様子では結婚の意志は変わっていない様子。学生ビザで就労資格のない彼女が、ましてリーマンショックで息も絶え絶えのアメリカで就職はかなり難しい。加えて、今住んでいるマサチューセッツの田舎町を出たくないのだ。就職大変だよ。大学院も考えてみる…

2009年4月―卒業後はマサチューセッツ州立大学か、あるいは近郊の大学でregistered nurse看護士の資格を取得しようかな。今のアメリカで確実に就職口がありそうなのが医療分野だから。普通なら4年かかるコースだけれど、accelerated courseっていう1年半のコースを取ろうと思う。でも、今企業への就職が出来るのなら、どうしてもnursing schoolへってわけでもない…

卒業したら一度帰国するつもりでいたけど、先のことがはっきり決まるまでは帰れない。

というので、じゃあ、ママとパパがそっちに会いに行くわよ。大学の卒業式もあることだし。(実際新型インフルエンザ騒動があって、渡航制限がかかってしまい、卒業式には間に合わなかった)アメリカ行って、顔を合わせてから、将来の話をしようじゃないの。

2009年5月末から6月はじめ―ママとパパで渡米。本人たちの結婚の意志が固いのを確認して、とっても不安だったけど祝福して、彼のご両親にも会って快く祝福してもらって、結婚式までのスケジュールをみんなで確認した。

娘の学生ビザが残っている間に(2010年9月まで有効)、リーガルマリッジをする。これだけで結婚成立なのだが、両家の家族と友人たちの前で祝福してもらっての結婚式を10月か11月ごろに行う。娘はグリーンカードの申請をしつつ、nursing schoolの願書を出して年明け早々の入学を目指す。

2009年7月―その後の近況などを聞こうと電話した時に、娘から6月末にリーガルマリッジを済ませて入籍が終わったことを告げられる。彼のご両親の出席もないままに、二人だけで治安判事の立会いの下で行ったと言う話に驚く。私たち日本サイドはともかく、あちらの家族は立会いたかったに違いないのに…娘を叱ったが、『彼が話したとばかり思っていた』というばかり。

案の定、しばらくして彼のお母様が自分勝手にことを進めている二人に対してやるせない気持ちを切々と綴って手紙をよこす。リーガルマリッジのことは終わってから3週間もたってから聞いた。(本当は3ヶ月も前に終わってたんですけどね。彼らも私たちと同様に6月末に行ったと聞かされていたので)知らされていたら何としても出席して祝福したかったのに!と。

2009年11月―結婚式。あー、大変だったなあ…いろいろあったなあ。これからも前途多難だけれど、子供が結婚してどうするんだよ!ってぐらい子供子供しているけれど、おめでとう!

20010年1月―願書出していた州立大学のnursing schoolに無事に合格して娘は本気で看護士を目指す。学校と実習と半々で、病院実習は12時間シフト。土曜日も学校の補習授業。何しろ通常の3分の1の時間しかないんだから。朝5時に家を出るから、新婚の彼とは日曜日に会うかなあ…だそうだ。それから、彼らのアパートにはなぜか同居人がいる!この同居人、隔週末に2歳と3歳の子供が会いに来ていて(普段は別れた奥さんが子供たちと暮らしている)、隔週末には、家の中を子供たちが走り回っている!なんて新婚生活をしているんだ…

2010年―アメリカでの結婚は法律的に有効となったけれども、日本サイドでも婚姻届って言うやつをしとかないといけないよ、と言うままのアドバイスをなかなか実行しようとしない娘である。第一に領事館のあるボストンへは車で3時間はかかる。当初免許を持っていない彼女はバスを乗り継いでいくしかなかったから、たどり着くのに4時間はかかる。ちょっと日帰りでは大変だ。それでも、何かの折にボストンに行ったときに領事館に寄って書類だけは手に入れたようだ。ただ、必要な書類とか、日本語での説明が難しすぎて、(分からなかったら、ママが教えてあげるって何度も言っているのに)、いつかそのうちと先延ばしにしていた。

12月―学校の休みが4週間近くあるから、彼もクリスマス休暇を取れるし、みんなの顔を見に帰国するよ。と言ってきた。それは良いわね。おばあちゃんたちも大喜びするわよ。そうそう、あれほど領事館に行って結婚届だしときなさい、って言っておいたけど、どうせやってないでしょ。日本語が難しい、とか何とか言ってさ。こっちに戻ってきたら、区役所行って出しましょ。ママが一緒に行ってあげるから、必要な戸籍謄本とかそろえておいてあげるから、そっちの結婚証明書だけ持ってきてちょうだい。

ははあ…ここまで時系列に沿って回顧してようやくの見込めました。娘の心の動きがね。区役所に行って婚姻届を出す時に、ママが居てくれるのはありがたいけど(居てくれないとどこの窓口に行って、何を言えばいいのかさえ分からないけど、マサチューセッツ州の婚姻証明書の翻訳もママがしてくれないと実際困るんだけど)そしたら、本当のリーガルマリッジの日付がばれてしまう!6月末ってことになっているけれど、実際にはそれより2ヶ月も早い4月に入籍していることが、婚姻証明書でバレバレじゃない!どうせいつかばれるんだから、日本に戻って区役所の窓口で大騒ぎをするよりも先に言っちゃって気分を軽くしよう!

娘の思考がようやく飲み込めてきた…

それでも、やっぱり、言葉が出てこない母でありました。

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