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道中記第4日

最終日。今日は帰るだけ。彼が空港まで送ってくれるのか、と思って期待していたら用事があるらしい。タクシー呼ぼうかな、と思っていたら、ご両親が代わりに送ってくださることに。ホテルから1時間以上かかるので申し訳ないと思ったけれど、せっかくのご好意なので受けてしまった。話のネタもそろそろ尽きてきたとはいっても、今から結婚式までの間で会う機会はたぶん無いので、知り合っておくいいチャンス。

それにね、昨日触れなかったことが一つ。わざとじゃなくて、とにかく緊張のあまり大事なことだったんだけど、落としてしまったことが。宗教です。彼の家系は代々ローマンカソリックで、私たちは日本的仏教徒(いったい何を信じているのやらいないのやら)。おまけに娘本人は「何にも信じてないよ」という人。そこの所は問題にしないの?宗教の違いは大丈夫?

ご両親はあっさりと、宗教は個人の自由の問題だから、この国は自由の国だから何を信じても信じなくてもいいのよ。ときっぱり。

多くのアメリカ人クリスチャンの宗教に対する考え方はかなりおおらかというか大雑把というか、緩やかだと思うけれど、日本人の宗教観といったら、ちょっと外国の人に説明するのも恥ずかしいほどに「オンチ」なのだ。私は自分自身を含めてはっきりと「宗教オンチ」の国民だと思うし、なんとなく心を癒してくれるものならばどんなものでもオーケーよ、って言う国民は世界中探してみてもそうはいないのではないかしら?

彼の両親に自分たちの宗教について説明するのは、実はとても難しいので、昨日はもっとハイテンションなレベルの話をしていたので、そういう中では国民の宗教観の話なんてねぇ…意図せずしてそこの部分を取り残していたというか…

でも彼らがとても明白に、宗教は何でも良いのよ、と言い切ってくれたので、やっぱり説明の義務があると思う。だって、私が「私たちは仏教徒です」と言ったとしたら、彼らにとってその意味するところは少し違ってくると思うのだ。大晦日に除夜の鐘で煩悩を払った仏教徒は、その鐘の音も消えきらない数時間後に今度は神社に出向いて拍手を打ったりするだろうか?仏教徒とクリスマスはいったいどんな関係があると言うのだろうか?

無節操なまでの日本人の宗教観を一応説明しておかなければ。

私たちもそうだけれど、多くの日本人にとって、仏教はほとんど文化的な背景になっているだけで、自分達でさえどこまで宗教なのか、文化的な習慣なのか分かってないのです。良く言えば宗教的に寛容で、悪く言えば怠け者っぽい。無節操と言われても仕方ない。正直何を信じているかと聞かれれば、答えられない人は多いだろう。どうしてこんな国民性かと聞かれても、私も良く分からない、歴史的なものなのかな?それぐらいしか今説明できないわ。

それで彼らが納得したとは思わないけど、まあ、初めて会ったのだし、今日でしばらく会うことはなくなるのだし、あまり複雑な話をしてもねえ。

とにかく当人たちの間ではずい分揉めたんじゃないかと思うの。宗教観は。うちの娘はそういうことをはっきりと言う人だし。ハイスクール時代にバイブルはそれなりに勉強してたし。きっと彼に色々言ったんだと思う。にもかかわらずお互いをベストなパートナーとして認め合っているんなら、周りがとやかく言うことじゃないよね。

そうこうしているうちに、空港に到着して、今度は結婚式で会いましょうね。是非日本にも来てね。って、お別れになったのでした。送っていただいた車を降りて、スーツケースを転がしながら「旅は終わったね」と言ったら、夫が「今朝車を見送ってくれたあの子がとってもさびしそうな顔をしてた。」とつぶやいた。そうだね。きっとさびしいし、不安だろうね。でもあの子はたった一人でここに来てちゃんと自分の根を下ろして、こうして頑張って生きて行こうとしてるじゃないの。大丈夫だよ、きっと。(そう思うことにしよう。)

久しぶりに英語ばかりの環境で必死に話したり聞いたりしたものだから、何だか耳が痛い。この感覚久しぶり。あと2,3週間いられるともっと自然になってくるんだけどなあ…残念…

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