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旅立ちの夏

この日が来る事はわかっていた。

今日、息子がアメリカの大学へと出発した。

これで子供たちは二人とも家を出てしまって、私はまるで抜け殻のようだ。Empty nest syndromeという表現があるけれど、雛鳥が巣立ってしまった後の母鳥は空っぽの巣の中でどうするんだろう?

3年前の夏に娘がやはりアメリカに行ってしまった時、あまりの寂しさに愕然とした。子供が家を離れることがそんなにも寂しいものだということを、それ以前の私は想像したことがなかった。それでも、あの時はもう一人子供がいた。その息子は私の悩みの種だったから、問題児の彼が寂しさを紛らしてくれた事になる。

そのアイツが家を出た。おめでとう!この日を待っていたのだよ。キミが心を病んでいる間は、母も本当に辛くて、再び元気になって笑顔で旅立っていく日を夢に見たものだ。

私は本当にキミのために喜んでいるのだよ。母や父が願っていたような道ではなくてキミが自分で選んだ道だから、なおさらいい。

この寂しさにはそのうち慣れる。親ならば誰もが経験する事だから。

でも、でも、夕食の支度をしようとして、キミはこれを食べないのだ、と思ったら…なんとも例え様のない寂しさ…

息子よ、元気で頑張れ!母も強くなるぞ!

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希望の光が差し込んだ

やはり見えない母の事が気がかりで、実家に行ってきた。

実生活の物理的な不都合もさることながら、それまで当たり前に思っていた『見える』という力がある日突然奪われてしまったことで、その精神的なショックが大きくて落ち込んでいる、と義姉が心配していたので、私も重い気分だった。

だが、今日の新たな検査の結果で『当初心配されたほどには出血が大きくないので、今は確かに見えないけれど、手術などの手段を取らなくても自然に出欠が吸収されていく可能性がある』と診断された。母本人はもちろんの事、周囲もとりあえず胸をなでおろした。

今現に見えていない、視界の周辺部分は見えても正面が見えないので、文字を読むことが出来ない、という現況問題は解消したわけではない。

自然に血液が吸収されていく、と言っても、何ヶ月もかかる話だ。

それでも、希望の光が差し込んだ。母はもう元気いっぱいだ。(なんか、危なっかしい…)それでなくても、ろくすっぽ見えないのにバスに乗る。視界の周辺が見えるので首を動かして角度を変えるとなんとなく見えるらしい。

買い物に行く。物の値段も分からないので、店員さんや、そばに居る人に尋ねるのだそうだ。お金も良く見えないので時には頓珍漢な額で払おうとしているらしい。『困ったらそばに居る人に聞けば快く教えてくれるよ』

無防備なまでに弱い自分を見知らぬ人にさらけ出すことで、『見えないから見てください、って言えば、代わりに読んでくれるし、書いてもくれる』のだそうだ。

ひっそりと日記を書くだけではなくて、引きこもらないで外に出て行こうとする母。危なくない程度に頑張って!

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もう一つの心配の種。

近頃では働き盛りの人を襲う試練が多過ぎる。

過労死。うつ。

派遣やパート・アルバイトなどの不安定就労層が労働者の中で大きな割合を占めている一方で、長期雇用の正社員は超過密長時間労働を強いられ命をすり減らしている。

夫もそうやって自分自身をすり減らしている。連日早朝から深夜まで仕事に追われ、海外出張は週末に出発するか、帰って来るので休む暇はない。このままじゃ、取り返しがつかないことになるよ!という再三警告するけれど、自分ではもはやコントロールできないのだろうか、仕事時間が減ることはない。

12年前に胃がんになった時、彼はそういう自分の生き方を変えようとした。筈…まあ、命が惜しかったから…虚弱になった身体にも悪慣れしてしまったとでも言うかのように、毎日「あー。しんど」を口癖にひたすら頑張っている。

それにしても彼が笑うのを見たのは最近いつだったろう?

この前2年ぶりにアメリカから帰省してきた娘が、父親の顔を見てショックを受けたように言ったっけ。「パパ、老けたねー!」

「そりゃあ、2年の間に若返る事はないよー。」と私はフォローしたけれど、そのあとも娘は機会があるごとに私に言う。(Just between usと前置きして、「ママが一人になったら、こんな所に住んでないで、アメリカにおいでよ。わたしが頑張って働いて家を買うからさ、一緒に住もうよ。」

どうやらパパの先行きは短いと決めてかかっている!『こんな所』って言うけど、これでも買ったばかりの新築なんだけど…おまけに、アメリカで働いて、家を買うなんて言ってるけど、サブプライムローンの破綻は知ってるでしょ!

わたしの老後を案じてくれる気持ちだけありがたく頂いておいて、「まあ、まあ、そんなに早くパパを見捨てないでよ。おばあちゃん(義母)だってそのうち引き取ることになっているし、パパが定年退職したら、今度はパパの面倒も見なくちゃね。」なんて笑っておこう。

夫は、明日からまたアメリカ出張だ。頑張らないといけない世の中なんだよね。ほどほどにね。

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母は眼が見えなくなった

このところの猛暑も82歳になろうとしている母の身体にはこたえるんだろう。

相談したい事があって実家に電話すると、同居の兄嫁が、私に『知らせようかどうしようか迷ってる』ところだった。母が3日前にまた眼底出血したらしい。10年前に軽い脳梗塞で倒れて以降ずっと高血圧の薬を飲んでいる。そのおかげで血圧はずっと安定していて、この春まではいたって元気で、よく動き、よく食べ、よく笑い、友達にも家族にも恵まれて、はっきり言って私なんぞよりはるかに健康に見えていた。

それでも年齢はごまかしようがないのだろうか。春―
最初は右目だった。視界の中心部分が黒く塗りつぶされて全く見えなくて、周辺部分のみ視力が残っている状態。左目が大丈夫だったから、違和感がありつつも何とか日常生活を無難に送っていた。

時間はかかるが、薬で溜まった血液を散らす、という治療を受けながら。目立った成果が現れずに半ば諦めたり、不自由な生活に慣れたりの数ヶ月だった。

そして、今度は頼みの綱の左目も全く同じ状態になった。

両眼とも視界の中央が黒くつぶれていると、どうやってみてるの?全く見えないの?とたずねると、見えないながらに両眼視というのはたいしたもので、家の中や近隣などはそれなりに動けるらしい。視界の周辺部分が見えるので様々に角度を変えてみることで推測しているのだろう。

自宅裏にある畑も大丈夫と言う。トマトが赤くなってれば分かるよ、と。見えているというよりは、覚えているから、なのだろうが。ただ、テレビは見えないし(音の方を見ると当然真っ暗だ)、読み書きも出来ない。電話をかけようにもボタンが押せない。不便とストレスは相当なものだ。

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治療も受けている。優しい家族が助けてくれている。

でも、結局は自分なのだ、と母は言う。いつかまた見えるようになりたいけれど、それまでの間見えなくてもやっぱり日記を書き続けるという。見えるようになってからそれまでに書いた日記を見たら、きっと物凄い字になっていて大笑いするだろうと思うけど、右手を骨折した時でさえ左手で書いてきたんだから、日記を書くことはやめないよ、と。私が笑って「その日記帳が何十冊かになった頃、きっと地元のテレビ局が取材に来るよ。老婆が見えない目で日記を書き続けています、ってね。」というと、母も電話の向こうで笑った。何十冊もたまる前に見えるようになるといいと思う。

でも大したものだと思う。ゆっくり頑張れ!
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我が家も夫が元気なくて、とっても心配しているけれど、彼についてはもう十年以上心配ばかりしているけれど…

ゆっくり頑張れ。

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