このところの猛暑も82歳になろうとしている母の身体にはこたえるんだろう。
相談したい事があって実家に電話すると、同居の兄嫁が、私に『知らせようかどうしようか迷ってる』ところだった。母が3日前にまた眼底出血したらしい。10年前に軽い脳梗塞で倒れて以降ずっと高血圧の薬を飲んでいる。そのおかげで血圧はずっと安定していて、この春まではいたって元気で、よく動き、よく食べ、よく笑い、友達にも家族にも恵まれて、はっきり言って私なんぞよりはるかに健康に見えていた。
それでも年齢はごまかしようがないのだろうか。春―
最初は右目だった。視界の中心部分が黒く塗りつぶされて全く見えなくて、周辺部分のみ視力が残っている状態。左目が大丈夫だったから、違和感がありつつも何とか日常生活を無難に送っていた。
時間はかかるが、薬で溜まった血液を散らす、という治療を受けながら。目立った成果が現れずに半ば諦めたり、不自由な生活に慣れたりの数ヶ月だった。
そして、今度は頼みの綱の左目も全く同じ状態になった。
両眼とも視界の中央が黒くつぶれていると、どうやってみてるの?全く見えないの?とたずねると、見えないながらに両眼視というのはたいしたもので、家の中や近隣などはそれなりに動けるらしい。視界の周辺部分が見えるので様々に角度を変えてみることで推測しているのだろう。
自宅裏にある畑も大丈夫と言う。トマトが赤くなってれば分かるよ、と。見えているというよりは、覚えているから、なのだろうが。ただ、テレビは見えないし(音の方を見ると当然真っ暗だ)、読み書きも出来ない。電話をかけようにもボタンが押せない。不便とストレスは相当なものだ。
...........................
治療も受けている。優しい家族が助けてくれている。
でも、結局は自分なのだ、と母は言う。いつかまた見えるようになりたいけれど、それまでの間見えなくてもやっぱり日記を書き続けるという。見えるようになってからそれまでに書いた日記を見たら、きっと物凄い字になっていて大笑いするだろうと思うけど、右手を骨折した時でさえ左手で書いてきたんだから、日記を書くことはやめないよ、と。私が笑って「その日記帳が何十冊かになった頃、きっと地元のテレビ局が取材に来るよ。老婆が見えない目で日記を書き続けています、ってね。」というと、母も電話の向こうで笑った。何十冊もたまる前に見えるようになるといいと思う。
でも大したものだと思う。ゆっくり頑張れ!
..............................
我が家も夫が元気なくて、とっても心配しているけれど、彼についてはもう十年以上心配ばかりしているけれど…
ゆっくり頑張れ。
最近のコメント